親鸞に学ぶ幸福論

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「世界中が幸せになってほしい」と願っていながら差別がなくならないのは【慈悲(1)】

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『衆生苦悩我苦悩

(しゅじょうくのうがくのう)

 

 衆生安楽我安楽』

(しゅじょうあんらくがあんらく)

 

という仏教の一句は

仏の心、大慈悲心を表わしたお言葉です。

 

“衆生の苦悩が我の苦悩である”とは

衆生(生きとし生きるもの)の苦しみ悩みが

仏の苦しみ悩みである、ということです。

 

衆生が苦しんでいると、

私も苦しいというのが仏の心です。

 

『衆生安楽我安楽』とは

衆生の安心満足が

仏の安心であり、満足である、ということです。

 

 

この仏の心で説かれている教えが仏教ですから

仏教の救済の対象は『十方衆生(すべての人)』です。

そこに差別はありません。

 

われわれ人間にはこういう慈悲はありませんので、

仏の慈悲を『大慈悲』と言われるのと対比して

『小慈悲』と説かれています。

 

私たちも好きな人が苦しんでいたら

自分もつらい気持ちになる、

そしてなんとかしてあげたいと苦労することも厭わないものです。

 

家族とか恋人とか、

自分の大切な人の苦しみはとてもほおっておけない、

そういう慈悲はあるのです。

 

ところが一方、好きじゃない人、嫌いな人が苦しんでいたらどうでしょう。

そのときは少しも自分の心はつらくならない。

相手の不幸を傍観してしまう。

いや、もっと苦しい目にあったらいいのに、と

相手の不幸を喜んでいるような心さえ起きます。

 

人間にも慈悲はありますが、

狭い相手にしかかからないのです。

だから小さい慈悲と言われます。

 

好きな人が成功したり、評価を受けたりしますと、

私たちは自分のことのようにうれしいですが、

嫌いな人、自分にとって邪魔な人が喜んでいるとどうでしょう。

同じように喜んであげられますか。

 

嫌いな人が喜んでいるとこちらは面白くない、

「何笑ってんだよ!」とむかむかしてくる、

衆生安楽我安楽、どころでない。

 

 

差別のある慈悲だから、

『小慈悲』と言われるのです。

 

 

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