親鸞に学ぶ幸福論

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平等にできないと嘆かれた親鸞聖人

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私たち人間の慈悲の心は

狭い相手にしかからないので

『小慈悲』と説かれていることを

昨日に引き続き、お話しいたします。

 

【愛憎違順することは

 高峯岳山に異ならず】

という親鸞聖人の言葉があります。

 

「愛憎違順(あいぞういじゅん)」とは

自分に従うものは愛して近づける。

自分と違うものは嫌って遠ざける。

 

【順】とは、

「自分を評価してくれる人」

「認めてくれる人」

「後押してくれる人」

 

こういう人は【愛】する

「良い人」

「好きな人」

「正しい人」

「正義の人」と評価する。

 

そんな好きな人が苦しんでいたら、

私たちは切なくなる、

何とかしてあげたい気持ちになります。

 

あるいはそんな人が幸せになったら

私たちはうれしくなります。

心からおめでとうとよろこびます。

 

【違】とは、

「自分と違う人」

「自分のことを認めてくれない人」

「“何だ、お前いたんか?”と無視する人」

 


こういう人は【憎】む

「嫌いな人」

「悪い人」

「間違った人」

「あの人のせいで周りのみんなが迷惑している」

と言い出す。

 

自分にとって都合悪い存在だと、

あの人がいると会社がだめになる、

チームが勝てなくなる、

と持論を展開し始める。

 

そんな嫌いな人が苦しんでいても、

切なくならない

助けたいという気持ちが起きない

「ほれ見たことか!」と喜ぶ心が出てくる

もっとひどい目にあったらいいのに、

とさえ思う。

 

あるいはその嫌いな人が幸せになったらどうでしょう。

見てて気持ちよくない。

「なんでお前が幸せそうにしてるんだよ!」

と腹が立ってくる。

 

言うこと聞いてくれる、都合のいい人は、

山の頂のように、

どこどこまでも「好きっ!」

そんな人には慈悲の心がかかります。

 

言うこと聞いてくれない、都合の悪い人は、

谷の底のように、

どこどこまでも「嫌いっ!」

そんな人にはどうにも慈悲の心が出てきません。

 

「高峰岳山(こうぶがくさん)」とは

極端に山谷ハッキリした

反り立つ絶壁のような山のこと。

 

「親鸞の心は切り立った山谷のように

 なんて極端で浅ましいんだろう。

 差別なく接しなければならないのに、

 この心どうしたことか。

 情けないなあ。恥ずかしいなあ。」

と懺悔された歌です。


すべての人に平等に慈悲をもって接しよう

と努めた人にしかわからない悲痛な懺悔でしょう。

 

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