親鸞に学ぶ幸福論

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旦那は布施に生きる人

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母は「死にたい」と言う。

妻は「出て行く」と言う。

二人の間にたって男は板ばさみにあう。。。

 

古今東西繰り返されている人間模様の一こまです。

 

母からは、嫁がいかに気遣いがないか、延々と聞かされる。

妻からは、姑がいかに底意地悪いか、長々と聞かされる。

そんなときは「わかる、わかる。」と共感する。

 

時にはやりきれなくて

「なんで仲良くできないんだ。」

とでも言ってしまったら

「あなたにはわからない」と

二人とも猛然と腹を立ててきます。

 

なんでこっちがとばっちり受けなければならないのか、と

腹も立ってきますが、

よく考えてみれば

確かに同じ家にいて、

いつも顔を突き合わせてもいれば

相手の言動にイライラもするだろうな。

自分だって職場にはイライラする相手いるもんな。

でも自分の場合、

営業で回ればその顔見なくていいし、

仕事が終われば顔つき合わさなくていいし、

土日は忘れておれるし。

でもあの二人は四六時中、

朝から夜まで一緒なんだからなぁ。

無理もないなぁ。

やはりなんとかしなくては、と

再び緩衝材役をかって出る決意をします。

 

ときには

「あなた、本当はどちらの味方なんだ?!」と

責め立てられることもありましょう。

本当はどちらの味方でもない、

二人の味方なのです。

 

このように、

二人の苦しみを背負って立つ気概が

大黒柱の男には求められます。

二人にあっち引っ張られ、

こっち引っ張られ、

身動きできず汲々としているようでは

情けない。

 

二人を抱えてずんずん進んでいく。

ぶんぶん振り回すくらいの気概がなければならない。

 

結婚すれば

男は『旦那(だんな)』になりますが、

「旦那」とは仏教の言葉で、

「布施をする人」ということです。

『布施』とは、

人に施しをすることです。

人の苦しみを背負う人です。

自分の苦しみを背負ってほしい、と

周りに求める人は

旦那ではありません。

 

結婚したら男は旦那なのだから

その自覚を持つべきでしょう。

 

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