親鸞に学ぶ幸福論

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趣味の本質は「現実からの逃避」であると定義したラッセル

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【趣味や道楽は、たいていの場合、

根本的な幸福の源ではなく、

むしろ現実からの逃避である】

ラッセルの言葉です。

 

この言葉は始めて読んだときに

「ずばり言い当てられた・・」と

思わず苦笑したのを覚えています。

生きる目的を知らなかった中学や高校時代

自分にとって趣味や娯楽は

「退屈しのぎ」の一言に収まってしまうものでした。

今から紹介する女子高生の状況にも

どこか共感する人も多いと思います。

 

ある本の一部抜粋です。

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成績も容姿もごく普通、

学校でも目立たないその女子高生は、

将来に明確な希望も目標もなく

変化のない退屈な日常を送っている。

しかしネットワ-クゲームの世界では

彼女は一騎当千の戦士として

華やかに活躍している。

そこでは十数名のパーティー(一緒に戦う仲間のグループ)から慕われ、

仲間が苦境に立たされているときには颯爽と登場して敵を追い払い、

仲間の命を助ける。

その戦士が「半日落ちる」と言い残して戦場から立ち去った。

仲間はその間、みんなで力を合わせて堪えようと励ましあい、

戦士の帰還を待つ。

戦場から離れた彼女はケータイの出会い系サイトで

「練馬区、サポ2万円希望」と書き込み、売春する。

そこで得た資金をゲームの利用料として

ネットワークゲーム会社に振り込み、

約束の時間に仲間の元に駆けつける。

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このネットワークゲームの女子高生にしても

現実の生活はただ嫌気さすほどつまらなく退屈で、

そこにいる自分はどうなってもいい存在だ、と

感じているのではないでしょうか。

彼女にとってはネットワークゲームの世界のほうが輝ける場所であり、

本当の自分が住む居場所となっているのでしょう。

人は没頭できるもの、夢中になれるものがある間、

つまらない現実を忘れることができます。

しかしどんなに没頭できたことでも

やり続けていると

飽きてくる、冷めてくる、やがて終わりが来る

そうなると今まで忘れておれた現実が

脳裏にちらちらとかすめ始める。

 

「今やらねばならないことがあるのではないか」

「こんなことをしていていいのか。」

いやいや腰を上げて

やりかけの現実に戻っていく。

人生の現実は暗い。

いついつまでもその現実を忘れることができればいいですが、

それは許されないのがまた人生の現実です。

 

『歓楽尽きて哀情多し』

と漢の武帝が嘆いたのは

この現実の戻る心境だったのでしょう。

何かで紛らわさなければ生きていけないほど

暗くさびしいところが人生です。

『そんな人生、なぜ生きるか』

親鸞聖人は生涯かけて明らかにされています。

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