「すべての本を読み終えなくてもよい」
イギリスの哲学者、フランシス・ベーコンは、
生前そのように言っています。
そのあとの言葉はこう続きます。
「味見のための本があり、
丸呑みするための本もある。
そしてごく少数の本だけが、
かみしめ、消化するためにある。
つまり、一部だけを読めばいい本があり、
好奇心をもって読まなくてもいい本がある。
そして、ごく限られた本が、
努力と注意をはらいながら、
最後まで読む価値がある。」
そういえば、ナニワ金融道の著者である故青木雄二氏は
「自分は最高の本に出会ったんで、もう本は読まんでいい。
マルクスの『資本論』とドストエフスキーの『罪と罰』。
この二冊でいいをじっくり読む。」
といった趣旨のことをどこかで言っていました。
私にはその二冊を最高の本だと思いませんが、
そのように言う気持ちはわかります。
哲学者・西田幾多郎が
「空襲でいっさいの書物を焼失しても『歎異抄』が残れば我慢できる」
と言ったのも、同じような心だと思います。
私は速読は学んでいませんが、
子供のころから吟味して本を読むタイプではなく、
ななめ読みのような読み方をしてしまうタイプです。
本は好きでしたが、退屈しのぎと教養集めが目的でした。
そんな自分も
「なぜ生きる」「歎異鈔をひらく」「親鸞聖人の花びら」など
生涯の師と仰ぐ高森顕徹先生のご著書は
襟を正して何度も吟味して丁寧に読ませていただきます。
暗記するまで何度でも読み返していきます。
これらのご著書に対しては、
西田幾多郎や青木雄二と同じような気持ちです。
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