親鸞に学ぶ幸福論

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輪廻転生を説く仏教と、人間に支配されるのが動物と説くキリスト教

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キリスト教の神はクリエイター、万物の創造主という意味であり、

人間はじめ一切の動物は神による被造物である、から

生物のことをクリーチャー(被造物)と呼ぶと

昨日から話をしています。

 

これはイスラム教、ユダヤ教も同じで、

世界の宗教人口からすると

ほぼ人類の3分の2を占めます。

 

一方、仏教では、生きとし生きるものすべてを

『十方衆生』と言われます。

因縁和合して、今そういう形に生を受けたのであって

死んだその後は、また違うものに生まれる、

私たちの生命は悠久の過去から輪廻転生を繰り返している、

と説かれています。

ある時は牛だったかもしれない、

蝶だったかも知れない、

ノミだったかもしれない、

「受けぬ形もなければ

 生まれぬ里もなし」

と説かれます。

こんなものにだけは生まれたことはなかった、

ということはないし、

こんな処に生を受けたことなんかあるはずない、

というものでもない。

どんな醜いとされるものに生を受けたこともあった。

どんな環境にも生まれたことがあった、

黒人に生まれたこともあった、

白人に生まれたこともあった、

障害を持って生まれたこともあった、

卑しいとされる身分で生まれたこともあった

犬や猫に生まれたり、虫に生まれたこともあった、

どんなものにでも生まれたことがあったのだ、と説かれています。

 

キリスト教の概念では

「海の魚と天の飛ぶ生き物と家畜、あらゆる動く生き物を服従させよう。」

「生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。」

と聖書にあります。

草だけだと嫌だろう、

肉も食べたいだろう、

お前たちに食べさせるために牛を造ってやったぞ、

牛だけだと飽きるだろうから、豚も用意したぞ、

鳥も造ったぞ、いろいろあった方がいいだろう

食べたらいいぞ、

お前たちのために用意したんだから、

ということになります。

 

しかし動物の側からしたら、

人間に食べられるために自分は存在していると思っていませんし、

人間に殺されて食べられろ、という人間の欲望に

服従しようとも思っていないでしょう。

アリは小さな動物ですが、

殺そうとすると一生懸命逃げます。

死にたくないのは彼らとて一緒だとわかります。

またどんな動物も、

美味しいもの食べたい 楽して過ごしたい

という思いで日々過ごしている、

これも人間と同じです。

 

どんな動物もそれぞれ生命もっている、

そして一生懸命生きている

それら生きとし生きるものを

仏教では『十方衆生』と説かれます。

そして仏の慈悲は『十方衆生』に注がれるのです。

明日に続けます。

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