親鸞に学ぶ幸福論

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キリスト教と仏教の、殺生に対する考え方の違いとは

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釈尊のご臨終を描かれた釈迦涅槃絵図には、

亡くなられたお釈迦様を取り囲むようにして、

激しく嘆き悲しむ弟子や大衆の姿が描かれていますが、

人間だけでなく、森の獣たちまでも集まり、

ともに嘆き悲しんでいる姿が描かれています。

 

釈尊の慈悲の深さが生きとし生けるものすべてのものに及んだ様子が

一枚の絵からもよくわかります。

 

仏教では、生き物を殺すことを「殺生罪」といい、

私たちの犯す罪悪の一つに教えられています。

一方、キリスト教では殺生を罪とは言いません。

 

聖書には、動物は人間に食べられるために神が用意したもの、

と記されているからです。

旧約聖書、創世記の一節に

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神は彼らを祝福して言った。

『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。

 海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。』

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とあります。

 

万物の創造主にして、

一切の運命をつかさどる神がそう決めたのだから、

動物を殺して、肉を食べることを罪にはならないことになります。

むしろ動物が人間に刃向うことが

神に対しての不遜な態度ということになりましょう。

人間に食べられるために

神に造られたのが彼ら動物だ、という発想からは、

動物を人間が殺して肉を食すことに

文句言われる筋合いはなくなります。

ですからヨーロッパの教会の横に屠殺場があっても、

何の違和感もありません。

一方、仏教ではすべての生命は同根である、と説きます。

今、人間として生を受けている我々も

輪廻している生命の歴史の中には、

どんな動物に生を受けたことがあったかも知れません。

 

輪廻転生の生命の実相を知れば

人間だけが偉い、支配して当然の存在だ、

というのは人間の勝手な言い分になります。

人間があまりに強くて、

比較すれば他の動物はあまりに弱いので

抵抗もできなければ

文句も言えないだけなのです。

しかしそれは今はそうですが、

私たちとて、いつまでも独裁者の立場ではありません。

地球の環境が変わったり、他の動物が台頭してきて

その座を奪われるかもしれません。

また人間もいつまでも人間でもありません。

因縁あって今は人間ですが、いつまでもそうではありません。

輪廻転生を繰り返す中で、

様々な形に生を受け、

そして死んでいくのが生命の実態です。

 

仏の目にはすべての生命は平等であり、

上下はありません。

生きとし生きるもの全て、十方衆生の救済が

仏教の究極の目的です。

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