親鸞に学ぶ幸福論

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明師・法然上人との邂逅をよろこばれた親鸞聖人

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以下に紹介するのは、当代随一の読書家といわれた、

評論家、亀井勝一郎の言葉です。

「親鸞を語ることは私にとって、人生を語るに等しい。

私のまず最初に言うべき事は親鸞に出会ったという、

その謝念でなければならぬ。」

 

あなたは職場のプレゼンで

「あなたの人生を語ってみろ!」

といわれたら、

真っ先に何を言いますか。

 

亀井勝一郎は

「私は親鸞に出会えた」

という謝念を述べる、と答えている。

しかも真っ先にそれを言う、と

古今東西の書に通じた氏のこと、

多くの偉人、賢人の思想に触れたであろうに、

迷いなくこのように言い切るその潔さには、

如何に亀井勝一郎にとって

親鸞聖人との出会いが大きかったか、

うかがい知ることができます。

 

こんな人生の出会いを、『邂逅』といいます。

『邂逅』とは、人生に一度あるかないかの出会いです。

言うまでもなく、人生は出会いと別れの連続です。

私達は、学校で、職場で、引越し先で、勉強会で、パーティーで、

様々な人と出会ってきました。

その中には私達の人生に、

良かったかどうかはともかくとして、

大きな影響を与えた人もあります。

しかし、その中で

『私はこの人と出会った、その謝念をまず述べたいです。」

と声を大にして言える出会いはあったでしょうか。

そんな出会いがあった人は幸せです。

なかなかないことだからです。

 

親鸞聖人が29歳の時、

真実の仏教を説かれる人生の師、法然上人とお会いされたのは、

親鸞聖人にとってまさに「邂逅」でした。

「真の知識にあうことは 

難きが中になおかたし」

(本当の仏教を教える先生に会えた親鸞は、なんと幸せであったのか)

明師・法然上人との邂逅を、いかに感謝されていたか、

 

こんなお言葉もあります。

 『如来大悲の恩徳は

  身を粉にしても報ずべし

  師主知識の恩徳も

  骨を砕きても謝すべし』

    (『正像末和讃』)

「弥陀と師教の大恩は、身を粉に、骨砕きても足りませぬ。

 微塵の報謝もならぬ懈怠なわが身に、寝ても覚めても泣かされる」

 

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