■「飲水思源」という中国のことわざがあります。
「水を飲む時には、井戸を掘った人のことを思え」
家の蛇口をひねれば水が出てくるのは、
こんこんと湧き出る泉があるから。
いやいや泉があっても
我が家までその水を
新鮮なままで
通すパイプがなければ、
やはり水は飲めない
のどの乾きに苦しんだ人が、
一杯の水で潤い、歓喜胸に満つるとき、
同時に
井戸を掘った人の苦労
パイプを通した人の苦労がしのばれ、
深い感謝に包まれる。
■あなたの今があるのはどなたのおかげでしょう。
何人かのお顔が浮かんでくることと思います。
その中にはもう亡くなられた方もあるし、
ご健在の方もありましょう。
その方々もまた、誰かのご恩に育まれてきたことでしょう。
■親鸞聖人の 教行信証に以下のようなお言葉があります。
印度西天之論家(印度西天の論家)
中夏日域之高僧(中夏・日域の高僧)
顕大聖興世正意(大聖興世の正意を顕し)
明如来本誓応機(如来の本誓、機に応ずることを明す)
こんこんと湧き出る泉は真実の仏法、
水道管に例えたのが、
印度西天の論家であり、中夏・日域の高僧です。
インド、中国、日本の高僧方、
龍樹、天親、曇鸞、道綽、善導、源信、源空
三国相伝の明師ましまさずば
親鸞、真実の仏法にあえなかった。
水道管の一ヵ所でも破れていれば水は届かぬように、
七高僧のお一人でも欠けていたら、
親鸞、助からなかったであろう。
このご恩は骨を砕いても足りませぬ、
と聖人は「恩徳讃」に、
「師主知識の恩徳も
ほねをくだきても謝すべし」
と燃ゆる思いを告白されているのです。
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