親鸞に学ぶ幸福論

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仏教がわかることわざ「縄を恨む泥棒」

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【縁(3)】

 

6年前、スピード違反で捕まりました。

中央自動車道で、場所は長野県でした。

 

私は免許取って2年目に、

一度覆面パトカーに捕まったことがあり、

以来、スピードにも気をつけ、

周りに覆面パトがいないか、

チェックを怠らないことを常とし、

自分なりに警戒して運転するようになりました。

 

それで15年以上、無事故無違反だったのですが、

それだけに悔しくてなりませんでした。

 

警察官の「してやったり」といったばかりの、

満面笑みにも腹立たしい。

 

「俺の前の車、相当スピード出していたんで、

あれにつられて出しすぎたな」と

前の車のせいにもしたくなる。

 

助手席の人との会話が盛り上がり、

つい運転に注意散漫になっていたので

助手席の人のせいにも思えてくる。

 

なにしろ周り中に、

原因なすりつけようとする心が出てくるのです。

 

そのとき、思い出したのが、

「縄を恨む泥棒」

ということわざです。

 

泥棒が捕まって縄で縛られている。

その泥棒、

“痛い痛い。俺を苦しめているのはこの縄だ

 この縄さえなければ、俺は苦しまなくていいのに”

“畜生!この縄のせいで”

と縄を恨んでいる。

 

そんな泥棒が、もし目の前にいたら、

あなたはどう思われますか。

「馬鹿だなあ」

「我が身知らずもはなはだしいな」

とあきれ笑うでしょう。

【なぜ他の人は縄で縛られていないのに、

おまえだけが縄で縛られて、

苦しまなければならないのだ?】

問題の焦点はそこにあります。

 

他人事なら、泥棒の馬鹿さ加減がわかるのですが、

自分に苦しいことおきると、

すっかり馬鹿な泥棒と同じになってしまうのです。

自分が捕まったのは・・

「覆面パトカーがいたからだ」

「前の車のせいだ」

「助手席の人のせいだ」

どれだけ、そういう条件があっても、

やはり捕まった原因は

【私のスピード超過運転】

それ以外の何物でもありません。。。

 

ユダヤの格言にもあります。

「人は転ぶとまず“石”のせいにする。

 石がなければ、“坂”のせいにする。

 そして、坂がなければ、“靴”のせいにする。」

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