「おい、あれ、宗教の勧誘じゃない?」
「宗教はキライ。」
どうも日本では宗教という言葉にマイナスイメージを持つ人も多いですね。
危ないものというイメージが専行し、
それも無理からぬ、宗教がらみのおかしな事件も起きますので、
確かにそういう意見も一面においてうなずけます。
実は「宗教」という言葉は、
仏教から来ている言葉であり
宗となす教え、人生の根本をなす教えということです。
宗教とは、本来仏教の異称でした。
今ではキリスト教もイスラム教も
その他何かの神など信じるすべての教えを
宗教と一くくりで言われますので
宗教という言葉の意味合いは大きく変わってしまいました。
かのアインシュタインは
【科学なき宗教は盲目であり
宗教なき科学は不具である】
と言っています。
【科学なき宗教は盲目である】
をまず考察します。
因果関係を論じ、
理性を元に検証していく科学的精神なしに
「とにかく信じろ」系の宗教は
「盲目」いわゆる盲信となり、
危険です。
もちろん人間の理性は不完全ではありましょうが、
理性を無視した、理屈に合わないものを信じることは
私にはできません。
病気が治った体験談や
○○の神を見たという信仰体験などから
『論より証拠』という人がありますが、
今日のマジックでは目の前のビルも消してしまいますし、
薬物などもあって幻覚や幻聴はいくらでも意図的に体験させることはできますし、
そんな体験、証拠はあてになりません。
占い師のコールドリーディングのだましの手口など読んでみると、
知識武装していく必要を感じます。
こんな怪しい時代は
「証拠より論」と慎重に確かめていく必要がありましょう。
仏教でも『体験至上主義』を厳に警戒します。
肉体、精神の切羽詰ったときに起きるという
脳のドーパミン現象を
「悟り」のように勘違いしたら
大変です。
教えのものさしをしっかりと学ばなければなりません。
自分ではまっすぐに線を引いているように思い込んでしまうのです。
だからものさしを当てて、曲がっていることを自覚しなければなりません。
長くなりましたので、もう一つの
【宗教なき科学は不具である】
のアインシュタインの言葉は
後日に譲ります。