親鸞に学ぶ幸福論

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仏教で怒りを炎に譬えられる理由とは

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【瞋恚(1)】

 

怒りは炎にたとえられます。

マッチ一本の火が

家一件焼き尽くしてしまうように

一時の怒りが

今までの友情や家族の絆を断ち切ってしまい、

長年かけて築いてきた信頼も

すべて叩き壊してしまうからです。

 

【怒りは無謀に始まり、後悔に終わる】

といわれます。

怒りは計画性などどこにもない、

ああしたらこうなる、

こうしたらああなる、

という理性的な判断は吹っ飛んでしまいます。

そして言ってはならないことを言う、

やってはならないことをやる

あとでもう取り返しのつかない言動を残し、

必ず後悔で終わる

 

あんなことを言わなければよかった、

どうしてあそこで手をあげてしまったのか

大火事で焼け野原になった地に

一人ぽつんと立ち尽くさねばならないときがやってくる

 

怒ると長年築いてきた修養や人格はどこへやら、

あとは野となれ山となれ

見境がなくなってしまう。

理性も、大火事の前のコップ一杯の水で、

何の役にも立たない

 

昔の交渉術の本にも、

憎い奴と思ったら、腹を立てるようにしむけたらよい、

とあるそうです。

相手が腹を立てるよう、腹を立てるよう仕向けていく。

するとこちらは手を汚さずに、相手は破滅する

腹が立つと、言ってはならぬことを言う。

してはならぬことをやる。

そして自業自得で破滅するからです。

 

だから自分も腹の立つ時は、

“その手はくわぬぞ”

と笑って裏をかくことです。

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