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親鸞に学ぶ幸福論

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心は隠そうとしてもにじみ出ると説く釈迦

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【意業(1)】

 

■先日、20代、30代中心のある社会人サークルに招待されて話した際に

「この男性はこの女性のこと、好きなのかな。」

と感じたことがありました。

 

私が冗談を言って場がわいたときなんかに、

その男性、笑いながらもすぐ視線が

斜め前方にいるその女性の方に向く。

本人はちらっと盗み見ているような気持でいるんでしょうけど、

前に立っている講師は結構、目線、表情がよくわかるのです。

 

これは士業として壇上に立つ方ならわかられると思うのですが、

壇上の講師は聴衆の顔が意外なほどよく見えます。

聴衆の顔つきや目線に心は表れますから、

その聴衆の投げてくる球をキャッチボールしながら

話しをしていく感覚があります。

 

今回の場合、目線、表情から察して

どことなく感じたことなのですが、

別に確認したわけではないので

そういう意味ではただの勘です。

 

人によっては目線、表情などですごくわかりやすくて

『知らぬは本人ばかりなり』というケースもありますが、

そんなわかりやすい場合でなくても、

何がどうということは言えなくても、

どこかで察知しているのか、

この二人、付き合っているのかな、と勘付いたり、

逆にお互い苦手に思っているのかな、とピンと来たりすることはあります。

そしてその勘が結構あたることが多いんですよね。

証拠と言えるような根拠はなくても

動作、距離感、会話などから

総合的な判断をしているからでしょう。

 

概して女性の方が敏感ともいいます。

私も経験上、そう感じます。

 

なにしろ心は言動にあらわれるのは否めません。

どれだけ隠そうとしてもにじみ出てくるものといえましょう。

それはあたかも川の上流に赤いインク塗料を大量に流せば下流は赤く染まり

青いインク塗料を大量に流せば赤く染まるようなものです。

川の上流が心、川下は口や身体の行為です。

心が元なのです。

そしてこれが仏教で特に『心』が重視される所以なのです。

 

■PS.ただし、人類の平和のためについでに言っておきますと

この『勘』というもの、常に正確というものではありません。

そう思い込むのは危険です。

ある女性に対して

「この人、ひょっとしてオレのこと好きなんじゃないだろうか。」

と勘が働いた、としましょう。

こちらのケースはこの野生の勘、外れることがあります。

【願望】という不純物が入り混じっていますので。

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