親鸞に学ぶ幸福論

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「悲田」とは、仏教でどんな意味か。

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【悲田(2)】


仏教に説かれている「悲田(ひでん)」について

前回よりお話ししています。

お釈迦様はかわいそうな人、気の毒な人、

苦境に立たされている人に

財を施すのは素晴らしい功徳がある布施の行だ

と説かれています。

 

田んぼに例えられたのは、

田んぼにまいた種はやがてまいた人が収穫できるように、

布施をした人に幸せとなって戻ってくるからです。

 

そのようにお釈迦様が幸せになれる行いだよと勧められても

とても信じられず、出し惜しみしてしまうものです。

命の次に大事なお金を人に渡すことなど

なかなかできることではないからです。

 

出すことができるとしたら、それは返ってくる計算が立つ時です。

政治献金やベンチャーへの投資も、しっかりした計算の元

「感謝をお受け取り下さい」「応援してます」「支えたい」

とお金を渡すのです。

したがって力のある人、将来性のある人には、

どんどん財が集まります。

ちぎれるほど尾を振ってみな近づいてきます。

 

逆に力のない人、将来性のない人には、見向きもしません。

「支えたい」と財を出す人は稀です。

介護老人ホームで邪魔者扱いされ、暴力をふるわれ、

挙げ句の果て、三階や四階から

紙くずのように捨てられる事件も起きています。

本当に支えてもらいたい人、「悲田」といわれる人に、

財を施す人はなかなかいないものです。

 

言うは易く、行うは難し

釈迦の教えに従い、悲田に施す布施の行を実践する人はまれです。

だからこそそんな人は光るのです。

大事にされるようにもなるのです。

 

力のない人や弱い人を無視し、足蹴にしてきた人は、

周りに同じタイプが集まりますから、

やがて自分が力を失い、弱くなった時に

周りから厳粛な報いを受けます。

「親捨てた 報いで子にも 捨てられる」

「あわれなり 人去りて知る 身の不徳」

とはこれを歌われています。

 

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