親鸞に学ぶ幸福論

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秀吉の辞世の句に見る仏説

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日本史上、希有の成功者といえる豊臣秀吉

よく三英傑で誰を上司にしたいかというアンケートがあります。

信長に仕えたら過労死するかリストラされそうだし、

家康は組織全体が重苦しくなりそうで緊張しそう。

その点、秀吉は長所を褒めて引き立ててくれそうだし、

職場全体を明るく元気にさせてくれそうな感じがして、

私は三人の中なら、秀吉を上司に選びたいと思います。

 

ところがどんなに魅力的な人でも権力を持つと、

いつしか変貌してしまうもので、

自分を脅かす者への不安からか、周りを粛清するのは

数々の歴史が証明してきました。

秀吉も例外ではなかったようです。

 

晩年は往年の磊落さは影を潜め、

深い猜疑心に苛まれるようになりました。

世継ぎに恵まれなかった秀吉は、

甥にあたる豊臣秀次を養子とし、

将来家督を継がせようと関白にまでさせましたが、

実子である秀頼が生まれるや、

秀次とその親族郎党も含めて処刑します。

側近として活躍した千利休にも、切腹を命じています。

自分の欠点や汚点を知り、

時には換言もしてきた黒田官兵衛蜂須賀小六といった

股肱の臣を煙たがるようになり、

自分を信奉する若きイエスマンを重宝します。

家来と共に笑い、泣き、寝起きを共にした、

情に熱いかつての秀吉の姿はそこにはありませんでした。

本能寺の変で、

最も信頼する家臣に殺された主君信長の姿を知る彼は、

誰も信頼できる人がいなかったのかもしれません。

 

また秀吉は、あれほどの人ですから、

自分の死後の天下の動向、我が子秀頼の行く末に

暗たんたる未来を直感していたことでしょう。

秀吉の死後、家康が大坂に牙をむくことを

暗黙のうちに諸将が予感していた、それ以上に

秀吉にはそういう未来に進んでいく空気を、

肌感覚で感じ取っていたかもしれません。

なぜなら信長が倒れた後、その息子達を殺し、屈服させた張本人が

秀吉本人だったのですから。

 

そんな我が子を殺すかもしれない者に

未来を託さなければならなかった胸の内は

いかばかりだったでしょう。

 

その秀吉の辞世の句がこれです。

「露と落ち 露と消えにし 我が身かな

      難波のことも夢のまた夢』

財や位階に釣られて、権謀術数で明け暮れる一生だった。

一刻一刻が血まみれなものだった。

その結果手に入れた豪邸も英名もすべて夢のまた夢。

一体何をしていたのか。

血の涙を流して後悔する秀吉の心の叫びのような歌です。

 

 

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