【忍辱(2)】
■仏教に『惑業苦(わくごっく)』という言葉があります。
「惑」とは、迷い・惑い・煩悩のこと。
「業」は悪い行い。
「苦」は苦しみのことです。
「惑」が「業」を生み、「業」が「苦」を生む、
そして「苦」が「惑」を生む。
「惑」⇒「業」⇒「苦」⇒「惑」⇒「業」⇒「苦」⇒・・
延々と続いていくと説かれています。
■カードローンで多重債務に陥り、苦しむ人は跡を絶ちませんが、
惑業苦の輪が、かなりの回転数で回ってしまっている状態です。
お金が欲しい、困った、どうしようと「惑」の心が起きます。
つい借りてしまう、これが「業」です。
返済が迫られる、これが「苦」です。
その苦しみからまたどうしようかと迷い、「惑」
また借りる「業」
借金がかさむ「苦」
借金の額が増え、カードも幾つも作り、
よからぬ金策に走ったりして、そのことで頭を悩ませ、
仕事も手につかず、人にも優しくできなくなり、
となっていくのが、惑業苦の輪が回っている姿です。
■一昔前は借金といえば、
親族や友人に頭を下げるなどしなければならなかったり、
あるいは周りの目をはばかりながら、
急ぎ足で質屋の暖簾をくぐらねばならなかったので、
借金自体ハードルが高かったのですが、
今日のご時世、ATMからお金を下ろしているのと同じ感覚で
キャッシング=借金という認識さえ麻痺して
しかもリポ払いでいくら買っても払う額が一定と
多額の借金も軽い気持ちになっていってます。
■カード会社も、借金を怖ろしくないものといかに思わせるか、
の方策を次々と打ち出しますから、
うっかりしているとだまされて借金している、という状態です。
■人気作家、宮部みゆきの代表作「火車」には、
カードローンで身を持ち崩す人間の実態が描写されていますが、
繰り返し語られているのは、出会い頭の交通事故のように
普通の人、一般の常識人も、
いつカードローンの犠牲者になるかもしれないという実態でした。
「あたし、どうしてこんな借金をつくることになっちゃったのか、
自分でもわからない」
「あたし、ただ幸せになりたかっただけなのに」
「夢はかなえることができない。さりとて諦めるのは悔しい。(中略)
そこへ、見境なく貸してくれるクレジットやサラ金があっただけって話」
■昔より自制心が試されている時代ともいえましょう。
野菜の無人販売のように、お金が店頭に並べられていて、
自由に持っていけるような感覚の時代です。
ただしどれだけ持っていったか、
こっそり厳しく管理されているので、
どれだけ欲しくても、我慢しなければなりません。
■昔は返済が滞っても、親族だから
いつの間にか利子が増えるということもなく、
質屋の場合、入れた質草が返ってこないだけで、
厳しい取り立てが始まるということはありませんでしたが、
今は深刻です。
苦しい時に、やってはいけないことをして
余計苦しみを深めるのが人間ですから、
苦しい時こそ「ここだなあ」と忍耐が大事です。
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