「出息入息 不待命終」
(しゅっそくにゅうそく ふたいみょうじゅう)
というお経の一節があります。
「出る息は入る息を待たず、命終わる」
と読みます。
吸った息が吐き出せなければ、
吐いた息が吸えなければ、
その時が、死ぬ時です。
吸う息、吐く息と触れ合っているのが「死」です。
何かの脅しでしょうか。
そんなおおげさな、と思いますでしょうか。
吐いたら吸う、吸ったら吐く、
当たり前のことだと思っていますが、
これが当たり前でなくなる時が必ず来るのです。
たとえれば「死」とは、
あとどれくらいで爆発するかわからぬ時限爆弾、
のようなものといえましょう。
タイマーの音がチッ、チッ、チッと刻んでいる時限爆弾、
そのチッという音が止まった時が爆発の時です。
いつ止まるか、全くわからない。
そんな時限爆弾を耳に当てて
「まだ大丈夫、まだ大丈夫」と安心している人がいたら
おかしなことです。
一刻も早くその時限爆弾から離れなければならない、
次の瞬間、タイマー音は止まるかも知れないのですから。
この時限爆弾でチッ、チッ、と刻むタイマー音は、
私たちの吸う息、吐く息です。
その当たり前のように吸ったり吐いたりしているその息が
止まった時が死ぬ時です。
「まだ大丈夫。吸える、吐ける」と安心しているのに、
何の意味もない、
次の瞬間吸えなくなるかも知れないのだから。
吸った息が「あっ、吐けない」
吐いた息が「えっ、吸えない」
という現実に直面する時が、必ずきます。
「出息入息 不待命終」とは、まぎれもなく
万人の未来に待ち構えている出来事を釈迦が言われているのです。