【愛別離苦(3)】
釈迦の説かれた普遍的な苦しみ、
「愛別離苦」について話を続けています。
古今の人類は常に「愛別離苦」と闘ってきました。
病気で大切な人を失いたくないと医学を進歩させ、
災害で家を流されたくないと堤防を築き、
いつまでも仲良く側にいてほしいと、
人の心の研究を続けてきました。
ではその努力の結果、『愛別離苦』を克服できたでしょうか。
江戸時代は虫歯が原因で死ぬ人もありましたが、
今や医学が発達して長生きできるようになりました。
しかし長生きすることにより、
人は常に老いた肉体に発生する病気との戦いが強いられ、
いつ愛別離苦が訪れるか、常に不安にさらされるようになりました。
耐震構造の家が建築され、震度6くらいでは死者もないほど、
災害に強くなったのは科学の進歩であり、
災害対策のたまものですが、
自然は時に人間の努力をあざ笑うかのように大災害をもたらします。
今や自然災害と連動するように、原発の脅威もあれば、
核ミサイルで人工的に大災害をもたらす力も人類は有しています。
教育学、心理学など学んで、どれだけ心を学んでも
変わり続ける人の心をつなぎ止めることはできません。
学んでみればみるほど、人間の複雑な心の前に、
無力さが知らされます。
どんなに医学が進歩しても、災害対策しても、人の心を研究しても
愛別離苦をしばらく先延ばしにするだけで、
いつかはこの苦しみにぶつかるのですから、
薄氷を踏むような不安が、全人類を覆っているのです。
私たちはその不安を紛らすために、
何かしてないとジッとしていられなく、
時にそれは、ギャンブルや薬物や性や犯罪など、
刹那的刺激に走るケースとして現われます。
この実態は昔も今も変わりません。
どんなに医学や科学が進歩しても、
どうして私たちは愛別離苦から離れられないのか、
仏教ではその答えを
【私たちの住む世界が「火宅無常の世界」だからだ】
と説かれています。
『火宅』とは、私たちの住まいしている世界のことです。
火のついた家のように不安に満ちているのが、この世の中だ
とお釈迦様は喝破されました。
『無常』とは
仏教できわめて大事な教えで、
一切は続かない、ということです。
火のついた家が瞬く間に焼失してなくなるように、
私たちの愛している物も人も、
瞬く間に自分から去って行くもの。
だから『愛別離苦』はいつでもどこでもついて回る、普遍的な苦しみなのです。
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