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親鸞に学ぶ幸福論

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仏教の説く布施の精神

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「また寺が出せといってきた。

 こないだは本堂の屋根が崩れたとかで、

 今度は庫裏じゃ。

 なんだかんだと取りやがる。」



こんな巷の声がよく聞こえてきます。



寺の僧侶が、

本堂の屋根の修繕や庫裏(くり)の立替など

門徒に負担金を割り当てる。



門徒からしたら、

葬式をしてもらわなければならない、

先祖代々の墓もあるからと

しぶしぶお金を負担することとなるのですが、

こんな悪習は日本各地で見られます。



なぜ私があえて「悪習」と評したのかといえば、

税金のようにしぶしぶ取り立てられたりするのは

仏教の『布施』の精神から

大きくかけ離れているからです。



『布施』のことを

仏教では『喜捨』ともいいます。



「喜んで捨てる」という意味です。



いやいや出すのは布施とはいいません。



生活を省みず、法を説かれる僧に

「この人を餓死させてはならない。

 いつまでも元気で仏法を教えていただきたい。」

と感謝する村の人たちが、

田畑で取れた米や野菜を喜んで持参するのが

お釈迦様以来の伝統であり、

変わらぬ『布施』のあるべき姿なのです。



税金なら各人の収入により、

税金額が決められ、

強制的に取り立てられます。



もし払わなければ

督促状で請求されましょう。



『布施』は、出される人の全くの自由意志で

強制されるものでもなければ

請求されて、渋々払うものではないのです。



法を説いていれば、

仏法の教えはすばらしいですから

必ず感謝される方はおられますし、

十分恵まれます。



その法を説かなければ、

門徒の寺離れが進むのは当然で、

急速に仏教が衰退している実態は

ここに原因があります。



僧侶はまずわが身が

仏教の布施の精神に立ち返って

使命を自覚すべきでしょう。

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