親鸞に学ぶ幸福論

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「仏、一音をもって説法したもうに」釈迦の教えは一つでも、一人一人異なって受け止めている

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業界(3)】


「仏、一音をもって説法を演説したまう、衆生類にしたがって解を異にする」

とお釈迦様は説かれています。

 

仏(お釈迦様)が一つのお声で説法されていても、

聴衆はそれぞれの業(過去にその人がしてきた行為)にしたがって

異なった理解をする、ということです。

 

仏の相の一つに「広長の舌相」がありますが、

仏の舌は広く長いということなのですが、

これは大雄弁をさします。

 

仏教の教えには、

巧みな例え話に思わずうなってしまうようなものがたくさんあり、

私もまだ仏教を聞き始めの時に、

まだ仏教の何たるかはわからないまでも、

その当意即妙な譬えに深い感銘を受けたものです。

その幾つかをこの日記、メルマガにて紹介させていただいてきておりますが、

そのように聞く人がつい引き込まれてしまう大雄弁をされたのがお釈迦様でした。

 

そのお釈迦様のお話を聞いている人の中でも、

砂地に水がしみこむように真剣に聞く人、

涙を流して感動している人もあれば、

反発する人、居眠り半分で舟をこぐ人、

無関心で途中で席を立つ人、いろいろあったのです。

 

お釈迦様が一つのことを一つの言葉で語っておられても

聴衆は一人として同じ経験、学問、才能、環境の人はありませんので、

受け止め方はみな変わってくるのです。

 

私も今、こうして日記を書いていると

そのレスポンスが感想、反論などとなって返ってきますが、

「こんな受け止め方をされる方もあるんだなあ」

「ここに共感されたのか」

と意外なのも多く寄せられ、同じ文章を読まれても

ずいぶん受け止めておられることは違うんだなあ、

と日々実感しているところです。

 

こんな歌もあります。

「手を打てば 鹿は驚き 魚は寄る 

        茶店の女中は 返事する」

奈良の鹿公園、猿沢の池のほとり、

一軒の茶店の前である人が手を「パン」と打つ

鹿は「銃声か」と驚き、びくっとする

魚は「餌か」と寄ってくる

女中は「注文か」と返事する

 

同じ音を聞いていても

まったく受け取るものは違います。

経験、環境、教育、習慣、男女、これら十人十色なら、

どうしてぴたっと同じ価値観がもてましょう。

異なる世界に一人一人が生きているのです。

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