【鬼神(3)】
「先祖を供養しないから不幸になる」
「先祖を敬い、先祖が喜ぶことをすると、幸福になれる」
と信じている人が多くあります。
亡くなった先祖には、
私たちに福をもたらし、禍をなす力がある、という信仰で、
これを仏教では「鬼神信仰」といい、
釈迦は迷信だと教えられています。
先祖を敬うこと自体、悪いと説かれているのではありません。
それは仏教では勧められこそすれ、
決して否定されるものではありません。
しかし先祖を敬うのは、先祖が人格的に優れていて、
尊敬せずにおれない徳を備えているから、ではありません。
ましてや、先祖を敬わなければ、
不幸がやってくるからでもありません。
私たちにとって最も近い先祖は「親」であり、
その次は、親の親である「祖父母」です。
親の親のそのまた親と、ずっと先祖は広がっていきますが、
6代さかのぼれば32人、時代は幕末ですね。
私の先祖は幕末に32人いたということになります。
32人の先祖の中には、今の私と面影が似ている人はあったろうか、
などと想像を巡らすのもおもしろいですが、
ここで言いたいのは、顔ではなくて、人格です。
32人もいれば、人格者だと言われる人もあったかもしれませんが、
嫌われ者、犯罪者もいたかも知れません。
今の私が接してみて、尊敬できる人もあったでしょうが、
どうにも尊敬できない、嫌な人もあったと思います。
ただ先祖だからとやみくもに尊敬の対象とするのはおかしいのは、
こういうことからも分かります。
では仏教で「先祖を敬いなさい」と教えられるのはどうしてか、
それは、その32人の誰か一人でも、親になる前に死んでいたら、
その下には子どもがいないわけだから、
私は生まれることができなかったからです。
現代に生きる私は、先祖から連綿と命をつないできた結果です。
32人が、誰も欠けることなく、子供を生んで、
愛情を注いで、苦労して育ててくれて、
命のバトンをつないでもらって、今の私になっている。
このことを思えば、感謝の心があふれますし、
先祖は大切にしなければならない存在だと分かります。
仏教の教えを聞いて、
「人間に生まれたのはこの幸せになるためだったのか」と
人間に生まれてきた尊さが知らされたときに、
同時に親の恩、先祖のご恩に感泣するのです。
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