【生死の一大事(3)】
■NHKに『映像の世紀』という番組がありました。
世界中に残されているフィルムから
20世紀のいう時代をひもといていくドキュメンタリーです。
好きな番組だったので、とある年末の一日をかけて全何巻、
見続けたことがあります。
ヒトラーが台頭し、やがて堕ちていき、
スターリンが権勢を握り、やがて死に、
毛沢東が頭角を現し、やがて没し・・・
一気に観たせいもありますが
人間は同じことばかり繰り返していることを
つくづくと考えさせられました。
人の一生などは、無窮にして無限の時の流れから見れば
ほんの一夜の宿といえましょう。
■温泉旅館に泊まりますと、きれいな掛け軸やインテリア、
風光明媚な庭や清潔な布団などあって気持ちいいですが、
どんなに「これいいな」と思っても
その日一日だけしか自分が自由にはできないものです。
旅館を出るときに「気に入ったから」といって
部屋から持っていったら、窃盗罪で逮捕されます。
その日一日だけの、しばらくの所有物です。
■考えてみれば、私たちが手にしている財産も地位も名誉も
この世にいる間だけ、
しばらく自分のものになっているもの。
死んでいくときには、全部置いて
丸裸でこの世を去らなければなりません。
人と駆け抜け争い、手に入れて、「おれのものだ」と誇っていても
しばらくの間、夢幻のように消えていく、
はかない一生の間だけのことです。
大金を手中にしたとっても、
権勢をほしいままにしたといっても、
歴史絵巻をクルクルと早送りボタンを押してみれば
温泉旅館の客の出入りさながらです。
朝、客が部屋を出ていけば、
昼過ぎにやってくる次の客が使う部屋となる
その客も翌朝には出て行って
また次の客の入ってくる準備が始まる
どんな権力者とて、一夜の温泉宿の、一介の客にすぎません。
■私の妻だ、子供だ、金だ、財産だ、地位だと喜んでいても、
万事、一時の借り物。
この世を去る時は、強引に争って手に入れたものも、
何一つ持ってはいけません。
死んで丸裸でどこへ行くのか、誰も知りません。
これを仏教では『生死の一大事』といいます。
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