【諦観(2)】
■『諦観』という仏教の言葉があります。
読んで字の如く、「諦らかに観る」。
なぜ自分はこんな目に遭っているのか、
その原因を明らかに見ることをいいます。
■「何でこんなつまらない仕事を続けなきゃならんのだ」
「どうしてあんなくだらない上司の元で働かねばならんのか」
と飲み屋でぼやく人がいます。
嫌なことや辛いことがあると、
「どうして私だけが」「何でこんなことを」と
思わず口について出てきます。
■しかし冷静に考えてみれば、その仕事を選んだのは、
他ならぬ自分自身です。
他の人のせいではありません。
■「いや、第一志望ではなかった、そもそも入りたくなかったが、
志望先の会社に行けなかったから仕方なく、あの仕事になったんだ」
と言うのなら、第一志望に何が何でも行きたいという
信念や努力が足りなかった、ということではないでしょうか。
■「親の希望でどうしてもあの会社に行けと言われたから」
と言う人はありますが、
親に順って、この会社にしようと決めたのは、やはり自分です。
■さらに今も転職せずに、そこに居続けているのも
自分の判断でしょう。
居酒屋で一杯やる時間返上で、退職後の独り立ちを目指して
仕事後、懸命に本読んだり、パソコンに向かったりしている人も
たくさんいるのですが、そういう道を選ばないのも、
自分の決めていることです。
■さらにその会社にいる人はみんな
「くだらない上司に八つ当たりされているのか」というと
そうではない。
上司に感謝し、同僚にも恵まれ、社内で素敵な人と結婚できて、
この会社には入れて良かったという人も、いるものです。
■なぜ他の人はそうなっていないのに、
自分はそんな目に遭っているのか、
その差は何だったのか、
その原因を見つめることは辛さが伴いますが、
その原因を明らかに見る『諦観』は、
現状打開の偉大な一歩です。
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