親鸞に学ぶ幸福論

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水平線に向かって泳ぎ続けるような虚しい人生

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【難度海(1)】


仏教では、人生を「難度海」といわれ、

「荒波の絶えない海」に例えられます。

しかもその海は360度、空と水しか見えない大海です。

どれだけ波と戦い泳いでも、一向に景色が変わらないので、

何のために泳いでいるのか分からない。

やがて腕も疲れてくる。

どんなに頑張ったところで、

このままではいつか土左衛門になるだけだと思うと、

泳ぐ腕にも力が入らない。

そんな海を泳いでいるようなものが人生だと説かれています。

 

「どれだけ泳いでも景色が変わらない」とは、

毎日毎日同じことを繰り返している私たちの実態を言われています。

「ああ、もう朝か」「ああ、もう月曜日か」と

何度繰り返してきたことか。

 

「泳いでいると腕が疲れてくる」というのは

そのうちだんだん歳がいく私たちの姿を例えられています。

やがて自分の身体さえ、自分で思い通りにならなくなり、

皆に迷惑をかけるようになる。

これでは「何のために生まれてきたのか」

「なぜ苦しくても生きねばならないのか」

いよいよわからなくなります。

 

あとは死ぬだけかとついため息が出る。

受け入れる施設も見つからないので、死ぬ場所もない、

看取る人もいない、そんな境遇に置かれている人が

どれだけいることでしょう。

大海で独り静かに力尽きて土左衛門になっていくように、

ただ一人、孤独の中に、独り死んでいく。

これがすべての人間の終末です。

 

万人にやがて必ず「死」がやってくる。

自分の全てがなくなってしまう時が来る。

そうなっても、消えない光はないのか、満足できる心はないか、

真実はないのか、と心が叫ぶのです。

 

その答えが仏教に教えられています。

親鸞聖人は『難度海を明るく楽しく渡す大船あり』と

終生かけて教えられました。

生きている平生に、本願の大船に乗り、

「生きてきてよかった」「いつ死んでも満足」と

大安心大満足の身になるために、

生まれてきたんだよ、

その身になるまでは、どんなに苦しくても、生き抜きなさいと

教えられています。

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