親鸞に学ぶ幸福論

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本当に仏様は浄土に導いてくれるのだろうか

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【後生の一大事】


平安時代、絶大な権勢を誇った藤原道長の、

よく知られた歌です。

「この世をば わが世とぞ思ふ 望月(もちづき)の

  欠けたることも なしと思へば」

「この世は、オレの世の中だと思う。

 今宵の満月に欠け目がないように、

 オレの人生には、少しも欠点がないのだから」

と口にしたと言うことですが、

こんなこと、一度くらい言ってみたいものです。

 

何かが解決して、ヤレヤレと一息つくものの

すぐ次の問題が起きて、またゆううつになる

一難去ってまた一難。

ひとつかなえて満足してみても

また足りないものが見えてきて、不満になってくる。

 

人生はすべてが思い通りになるなんてことありっこない

と思うのに、

「あの欠け目のない満月のように

 すべてにおいて、人生に不足はない」

と言い切っているのですから、大変な境地です。

 

この歌は、娘三人が帝の后になり、磐石の権力を手にした道長が

自宅で3日間にわたっておこなわれた盛大な祝宴で歌ったものです。

ところが翌年には重い病気にかかります。

糖尿病だったといわれていますが、眼病にまで進行していきました。

 

死をおびえて、剃髪して仏門に入ります。

臨終には金色の仏像と、憔悴し切った自分の身体を五色の糸で縛り、

周り中僧侶に取り囲ませ、読経させ、浄土往生を願ったようです。

 

「本当に仏様は浄土に導いてくれるのだろうか」

「死んだらどこへ行くんだろう」

いよいよ臨終になったとき、たった一人ぼっち、

孤独と不安に苛まされ、後生の一大事におびえる道長の姿に、

「望月の~」の歌を歌った時の覇気はどこにもありませんでした。

 

臨終の床で、自己の厳粛な現実を前に、

道長の胸に去来するものは何だったでしょうか。

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