【出世本懐(4)】
■「なぜ生きるの?」
「生きるためだよ」
「生きるために生きてるの?」
「そうだよ。文句あるか」
こんな掛け合いを何度か経験しましたが
文句大有りです。
■「何のために勉強しているんですか」
と聞かれて、
「希望の大学に合格するためです」
という答えなら理解できますが、
「勉強するために勉強しています」
では、ナンセンス、意味不明です。
■「なぜダンス教室に通っているの」
と尋ねて、
「あのステキな先生と踊れるから」
なら分かりますが、
「通うために、通っている」
では、トートロジー(同意語反復)で、
何も言ってないのと同じです。
■「生きるために生きる」のは、
ちょっと考えれば、
言葉の意味からもおかしいと分かるでしょう。
歩いている人も、どこかへいくために歩いています。
あるいは気分転換に散歩、運動のためというのもあるでしょうが、
少なくとも「歩くために歩いている」人は一人もいません。
■「歩くために歩いている」人、もしあらば、
その人の未来は【行き倒れ】あるだけです。
同じように「生きるために生きる」と強弁する人の未来は、
「死ぬ」だけです。
「生きるために生きる」とは、ほかならぬ
「死ぬために生きる」と言っているのと同じです。
■「人は呼吸するために生きているのではない。
何かをする為に生きているのだ。」
とルソーは言いました。
その『何か』こそ、
真に一人ひとりが考えるべき命題でしょう。