親鸞に学ぶ幸福論

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人生には決定的な岐路がある

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【遇法(2)】


元日のテレビに、この寒いのに、

滝行する修験道の行者がでていましたが

元旦だけでなく、一年中、山にこもって山伏のような格好をして、

修行に励んでいるそうです。

そのテレビを見たとき、ふと私自身、高校時代に、

将来は比叡山高野山に登って修行でもして心を鍛えれば、

何事にも動じない強い心になれるのかなと考えていたのを

思い出しました。

 

もし一歩間違えれば、今ごろ同じように滝行して、

「冷てえな、嫌だな、でも俗世の人より相当鍛錬しているからな」

とわけのわからない自負心だけ持って、

結局一生、何が幸福なのかも曖昧模糊としたまま、

虚しい一生を終えていたことでしょう。

 

あなたは人生の岐路に立たされた時、

もしこちらを選ばず、あちらの道を選んでいたら、

今頃自分はどうなっていただろうか、

と考えられたことはありませんか。

「もしあの時、あの人と結婚していたら」

「あの時、あちらの会社を選んでいたら」というように。

今さら「もし」はないよ、と言われればそれまでですが、

ふと考えてしまうものです。

 

大きな人生の岐路もありますが、

考えてみれば毎日が小さな選択の繰り返しの連続です。

何を食べるか、どこへ行くか、誰としゃべるか、

あなたもいつも選択しているのです。

【人生は証明ではなく、選択の連続である】

この人と結婚できたら幸せになれると証明してから、

プロポーズすることもできず、

この職場で満足できると証明されたから、

この会社に入るというわけにもいきません。

私たちは選択するしかないのです。

たった一度しかないかけがえのない日々を、

取り消すことのできない選択を繰り返して

私達は生きている、ということです。

 

私なら大きな選択だったと思い返すのは、あの時です。

友人から「仏法の講演会あるけど行く?」と誘われた18歳の時。

「ひまだからいいか」と何気なく選んだ「いいよ」の一言が

私の人生の決定的な岐路でした。

どうして期せずして人生の師とお遇いすることができたのか、

親鸞聖人の教えに遇えたのか、

どうして自分なのか、ただ不思議です。

 

親鸞聖人は教行信証に『遠く宿縁を喜べ』といわれています。

遠い遠い過去世から結ばせていただいた仏縁なんだよ

と教えられています。

 

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