親鸞に学ぶ幸福論

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生まれては苦海、死しては浄閑寺

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生死の苦海(1)】


江戸時代、吉原で働いていた遊女たちが口にしていた言葉に、

「生まれては苦海、死しては浄閑寺」

というのがあります。

浄閑寺は吉原の近くにある寺ですが、別名、投込寺といいます。

吉原の遊女が亡くなると、荒ムシロに包まれ、

この寺に投げ込まれたからだそうです。

 

家が貧乏なので身売りされ、吉原で働くようになり、

病気になるとろくに看病をしてもらえず、亡くなれば葬式もなく

粗むしろにくるまれていく・・・

まさに苦海の波に翻弄される一生で、

死んでなお、投げ込み寺に荒むしろで投げ込まれるその悲哀を

「生まれては苦海、死しては浄閑寺」

と言われたのでした。

 

自己の運命をうらんだ遊女も多かったでしょう。

「何のために生まれてきたのか」

「苦しむために生まれてきたようなものだ」

「なぜこんなに苦しいのに生きねばならないのか」

生きる意味を心底悩んだ人もあったことでしょう。

 

その昔、法然上人が土佐に向かわれる途中、

船中である遊女が、仏教を聞きたいとお願いした

という記録があります。

70を越えられた老上人でしたが、

親身に弥陀の救いを切々と説法され、女は感泣したとあります。

 

『仏の慈悲は苦あるものにひとえに重し』

苦しみ悩む人が仏の正客です。

 

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