親鸞に学ぶ幸福論

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出家せずとも救われる道

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【出家(4)】


親鸞聖人は9歳の時、出家され、比叡山に入られました。

ところが清らかな山だと思われた比叡山は、

すでに俗世と変わらぬ、煩悩に穢れた「穢土」でした。

見栄えのいい叡山の金堂宝塔も、その中では派閥争いが繰り返され、

難行苦行を掲げながらもそれは形だけで、

僧たちの個人生活には無数の醜が隠されているのを知られたのです。

 

周りが不真面目だと、「朱に交われば赤くなる」で、

自分だけ真面目に修行しているのがばかばかしくなり、

いつしか怠惰で楽を覚えていくのが私たちの常ですが、

親鸞聖人はそういう方ではなかったようです。

煩悩にまみれた僧侶を反面教師に、

「オレだけでも戒律を守り抜いてみせる」

「煩悩を克服してみせる」と、

一人固く誓われ、修行学問に励まれるのでした。

 

その誰よりも真摯な学問修行から、

やがて親鸞聖人は、叡山の麒麟児(きりんじ)

と呼ばれるようになりました。

 

ところが親鸞聖人は、ご自身の心を真面目に見つめられ、

こう仰っています。

「こころは蛇蠍(じゃかつ)のごとくなり」

親鸞の心の中には、醜い蛇やサソリがうごめいている」

と告白懺悔されています。

蛇やサソリを見た時、背筋がぞっと寒くなるような、

気持ち悪い感じがしますが、

この蛇やサソリの心とは、他人の幸せを妬んだり、

他人の不幸をくすくす笑っている心のことです。

わが身ながら、なんて醜い心だろうとぞっとする心です。

親鸞聖人は、妬み嫉みの心がとぐろを巻いている

ご自身の心に驚かれたのです。

醜悪さを隠蔽している比叡山を責めるお気持ちの親鸞聖人でしたが、

それ以上に醜悪な心を隠しているのが、

他ならぬ私の実態ではないか、と愕然とされたのでした。

 

どうしたら、この煩悩の火を消すことができるのか、

決死の修行に取り組まれるものの、

どうにもならないご自分の醜い煩悩に苦しまれ、

こんな心のまま死んだらいったいどうなるのか、

不安な心に居ても立ってもおれなくなり、

ついに比叡山を下りられたのでした。

9歳で出家されてから、20年の月日が流れていました。

 

その後間もなく法然上人とお遇いされ、

煩悩の塊のまま救われる本当の仏教を知られた親鸞聖人の喜びは

余人の想像を絶するものだったでしょう。

「もし法然上人にお会いできなかったら、

せっかく人間に生を受けながら、二度とないチャンスを失い、 

永遠に苦しんでいたにちがいない。

親鸞、危ないところを法然上人に救われた」

と感泣されているお言葉が残されています。

ここに「出家」せずとも、

「在家」のままで救われる大道がひらかれたのです。

 

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