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親鸞に学ぶ幸福論

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自殺の直前まで、死は正体を隠す

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【生死の一大事(2)】

 


ある女子高生が7階建てのマンションから飛び降りました。

いじめを苦にしての自殺決行でした。

遺書を残しましたが、そこにはよくあるような、

いじめた級友への恨み言などはなく、

ただ両親へのお詫びの言葉と、

「永眠したい」と書かれていたそうです。

彼女は死んだら永遠の眠りにつくものだと思っていたのでしょう。

 

一度眠ったら朝に目覚まし時計が鳴るまで意識がないように、

死んだら意識が途切れて、そのまま二度と朝を迎えることなく、

無になる、そんな死のイメージを持っていたのでしょう。

 

ところがその彼女、飛び降りたときに即死ではなく、

大木の枝葉にぶつかり、枝を折りながら落ちたのが

クッション代わりになり、即死ではなかったのですが、

首の骨が折れたのです。

すぐ救急病院に搬送する救急車に乗り込まされ、

懸命の治療が施されたのですが、

治療むなしく、その救急車の中で息を引き取っていきました。

 

その虫の息の彼女が、

救急車の中でうわごとのように言い続けたのが

「痛い。痛い」「怖い。怖い」

「死にたくない。死にたくない」

という言葉だったのです。

 

「痛い。痛い」これはわかります。

指の骨が折れただけでもどんなにか痛いだろうに、

首の骨が折れたのですから、耐え難い痛みでしょう。

 

しかし問題はあとの二つの言葉ですが、

「怖い。怖い」とはどうしてか。

死んでいかねばならないことを恐れおののいての言葉ですが、

彼女はこの世に生きているより死んだほうがましだ、と

自殺を選んだのでしょう?

どうして今になって「死ぬのが怖い」と感じるのでしょうか。

 

「死にたくない。死にたくない」

これもなぜでしょう。

彼女は死にたかったのではないのか?

首の骨が折れて「死ななければならない」と

いよいよ死が眼前に突きつけられて初めて

「死んだらどうなるのだろう。死にたくない。

 怖い、怖い」と本心が叫び声をあげるのです。

 

【死んだらどうなるのか】

この圧倒的な不安、恐怖は、

わが身が死に直面した、その時でないと正体を現しません。

ビルの屋上に立っているときは、

まだ「死ぬ』ということが、どこか他人事です。

自分が死んだら、周りはどう思うかな、

クラスメイトは悔やむかな、家族は悲しむかな、

こう考えるのは、死が他人事だからです。

 

首の骨が折れ、自己の死を自覚して初めて

「死んだらどうなるのか、私は一人ぼっちでどこに行くのか」

と本当の死の恐怖を知るのです。

 

終幕の人生にならないと誰も気づかない落とし穴だから、

チェーホフ(ロシアの小説家)は、代表作『六号病室』で

「人生は、いまいましい罠」と表現したのでしょう。

 

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