【出世本懐(1)】
かつて日本国内の長者番付で上位に入った不動産会社の社長は、
70歳を過ぎてからこんな思いを抱くようになったと、
雑誌社の取材で答えています。
「70歳を過ぎた瞬間に、すべてが虚しくなりました。
自分の人生を振り返って、人間として今後いかにあるべきか
を考えるような年齢に達したんです。
いまの商売はもう広げません。後片付けの段階ですね。
私の友人でも、資産家が4~5人いましたが、
みんな50歳前後で逝ってしまいました。
みんな、いまが永遠に続くと思っていたんですが、
おカネはあの世に持っていけませんからね。残酷なものです」
この方は70歳まで、商売を広げ、高収入を目的に、
人一倍突き進んでこられたのでしょうが、
己の死を見つめられた時
「おカネはあの世に持っていけない」と直感され、
すべてを虚しく感じられたのでしょう。
この方だけではない、
みな財産と名誉を追い回し、日々、一喜一憂していますが、
そんな日常のまどろみに、突如として「死」が襲います。
一人一人の眼前に「なぜ生きる」と突きつけられる時です。
その時、今までの信念は総崩れになり、
底知れない闇に一人ぼっちで向かう己の姿に愕然とするのです。
そんな闇黒の死がいつ襲いかかるか分からないから、
何をどこまで手に入れても、常に人生が虚しいのだよ、と
釈迦は説かれています。
この真実に驚いて仏門に入った人のエピソードを紹介して、
今日の内容としたいと思います。
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京都の紀伊国屋亦右衛門は若い頃、大きな商家で働いていた。
非常に才気があり利口だったので大変可愛がられた。
あるとき主人が亦右衛門を呼んで言った。
「おまえはいかにも商売向きの才能を持っている。
金百両を与えるから、思う存分好きな商売をやって
一千両にしたら帰ってこい」
大層喜んだ亦右衛門は、早速、商売に出かけた。
初めから大きな商売をしては失敗するかもしれぬ。
小さい商いから始めて確実に利益をあげてゆこうと考えて、
まず紙屑を買ってちり紙にすき直して売った。
三年間に三百両でき、五年間でついに千両の財産を作った。
「先年頂きました百両で、千両の資本を作りました」。
亦右衛門は帰ってお礼の挨拶をした。
主人は彼の商才に感心して、
「才能のある人間だと見込んではいたが、驚いた奴だ。
今度はその千両で一万両作ってみないか」と激励した。
五、六年して亦右衛門は、言われたように一万両にして帰ってきた。
主人は驚嘆して今度は十万両にせよと言ったので、
三年後にそれも成し遂げた。
ますます欲が深まってきた主人は、
さらにそれで百万両儲けて帰れと命じた。
この時、亦右衛門は、
「十万両を百万両にするのは百両を一万両にするよりも
容易いことですが、命あっての金であります。
どれだけあっても金は、これで十分とは思えません。
人間の欲には限りがない。
限りなき欲の奴隷に私はなりたくはありません」。
きっぱりと主人の要望を断り仏門に入ったという。
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