親鸞に学ぶ幸福論

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浦島太郎のあの結末はなぜ?謎を仏教の観点から解く

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【虚仮(4)】

 


仏教で教えられる「虚仮(こけ)」について回を重ねました。

「自分のことくらい自分が一番よく知ってるさ」と

みな思っていますが、

実は分かっているのは、自分のほんの一部であり、

他人も自分も知らない本性が隠れていると

仏教では説かれています。

仏説通りの自己を知らされた親鸞聖人は

『虚仮不実のわが身にて清浄の心もさらになし』

“ウソ偽りのこの身には、清らかな心は全くない”

と懺悔されています。

 

今日はこのテーマの最後に、あの有名な『浦島太郎』を通して

語ってみたいと思います。

漁師の浦島太郎が浜へ行くと、カメが子供たちに虐待されています。

可哀想に思った彼は、子供たちに動物愛護の精神を話しますが、

子供たちは聞き入れません。

そこで彼はカメを買いとり、沖のほうに放してやりました。

いじめられる動物をかわいそうだという人はいますが、

実際に身銭を切ってでも助けようとする人は少ないですから、

彼のしたことは誰にでもできることではありません。

 

後日、浦島太郎が船を浮かべて漁をしているところへ、

助けたカメがあらわれて、竜宮城の乙姫さまを紹介され、

タイやヒラメの踊りを楽しみ、山海の珍味でもてなされ、

思わぬ楽しみを味わうことになります。

十分楽しんだ浦島が帰宅しようとした際に

乙姫さまは玉手箱をお土産に渡します。

浦島太郎が故郷に戻ってみると、長い年月が経っていました。

何かさびしくなった浦島太郎は

絶対に開けてはなりません、と乙姫さまから言われていたのに、

玉手箱を開きます。

一瞬にして浦島太郎は、白髪の老翁になってしまいました。

 

さて、これがおなじみの浦島太郎のあらすじですが、

皆さんの中にもこのおとぎ話を聞いて

何か釈然とせぬ気持ちになられた方も多いのではないでしょうか。

その釈然としないところは

『なぜ良いことをした浦島太郎があんな目にあったのか』

というところです。

ふつうの日本昔話なら、正直爺さんは宝をもらい、

意地悪ばあさんはひどい目に遭う、勧善懲悪のストーリーです。

この日本昔話の黄金の方程式は

実は日本人の思想の根底にある仏教思想からきます。

このメルマガ、日記でも何度も紹介した

善因善果(良い行いをすれば幸せになれる)

悪因悪果(悪い行いは不幸を引き起こす)

自因自果(自分のまいたものは自分が刈り取らねばならない)

の因果の道理です。

 

では、なぜこの浦島太郎だけは、

この黄金の方程式から逸脱しているのでしょうか。

実は絵本に書かれているおなじみの浦島太郎の姿に

そのヒントがあります。

 

浦島太郎は漁師の格好をしています。

彼の肩にかつがれているのは魚釣竿です。

この釣竿は今からも多くの魚の生命をうばう道具で、

浦島太郎が本当に動物愛護の善人ならば、

まずその竿を折らねばならないことになります。

 

一方で何千何万の魚を殺しながら、

たまたま一つのカメの生命を助けたからといって、

いかにも慈悲深い善人にみせかけるのは、

あまりにも見え透いた偽善といえます。

 

悪しか造っていない私たちが、善いことをしていると自惚れて、

自惚れて過ぎ去る一生の早さを教えたものが、

この浦島太郎の物語なのです。

悪を造り続け、その自覚も無しに、

パッと白煙が立ち登る一瞬の人生に驚いた時は、

すでに人生の終着駅についているのです。

 

このように知らされると、子供のオトギ話と思っていたことも、

実は、真実の私の姿を教え、早く、本当の幸福を獲なさいよ、

と教えられる仏教そのものになるのです。

 

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