【後生の一大事(2)】
2人に1人ががんにかかり、3人に1人ががんで死ぬ時代、
知人でがんになった人の話しを聞くこともあり、
決して他人事ではないと思いますし、
「保険に入っていたから、いい治療が受けられて安心」
と喜ぶ人が出てくるがん保険のCMも増えてきました。
家のローンだけでも大変ですが、さらにがん保険に入るかどうか、
検討を始める人も多いかと思います。
他にも保険にはいろいろあって、生命保険、介護保険、学資保険、
地震保険、海外旅行保険などなど。。。
「人生には上り坂あり、下り坂あり、まさか、という坂もある。
何が起きるかわからない人生も、備えがあれば安心です」
「何かあった時に奥さんや子供さんを守るのは一家の長の責任です」
との保険のセールスにその都度反応して、
何でもかんでも保険に入り、
毎月の給料が月々支払う保険料だけで消えてしまう
という笑えない話もあります。
最悪の事態を想定する気持ちも大事ですが、
現実には、確率と問題の大きさを考えて、
何に対策を立て、何に立てないか、各人が考えなければなりません。
しかし世の中にはおかしなことに、大問題なのに、
そして確率はものすごく高いのに、
何の対策も準備も立てずにいる問題があるのです。
それは「私は死んだらどうなるか」という問題です。
「火事になったらどうなるか」(火災保険)
「介護が必要になったらどうなるか」(介護保険)
「一家の長が死んだらどうなるか」(生命保険)
「がんになったらどうなるか」(がん保険)
さまざまな問題に準備、対策があるのに、
なぜかすべての人は「私は死んだらどうなるか」は、
むき出しの不安のまま、出たとこ勝負で迎えようとしているのです。
ちなみに誤解のないように申しますと、
「私は死んだらどうなるか」という問題は、
「私が死んだら残された家族がどうなるか」
「墓代や葬式代はどうなるか」という問題ではありません。
「私は死んだら、たった独りでどこへ行くのか」という問題です。
引き起こる可能性は100%。すべての人の問題です。
そして問題の大きさは、ゼロから無限大まで可能性があり、
人智では太刀打ちできず、全く見通しが立たない真っ暗闇です。
真っ暗闇に丸裸、独りぼっちで入っていくようなものです。
これを仏教では「後生の一大事」といいます。
こんな大問題を抱えながら、何の準備も対策もせず、
ただ目を背けることしかできないでいる人類の実態に驚き、
その解決を目指して釈迦が出家されたのが29歳の時でした。
そして35歳、仏の悟りを開かれ、
後生の一大事の解決の道一つ説かれたのが、仏教です。