親鸞に学ぶ幸福論

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仏教の説く幸せとは、比較して乱高下する幸福ではない

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【相対の幸福(3)】


誰と比較するか、何を比較するか、によって

感謝したり、うれしくなったり、

不満を覚えたり、さびしくなったりする、

そんな私たちの幸福の実態を、先回と先々回、話しました。

比較する対象は、決して他人とは限りません。

過去の自分と比較して、幸福、不幸を感じることもあります。

 

ドストエフスキーの『罪と罰』に登場する

カテリーナ・イワーノヴナは、貴族の家柄でしたが、

結婚に失敗し、今は貧困にあえぐ長屋暮らしで、

娘を売春までさせて生計を立てている女性です。

「今じゃ想像もできないけどねえ、おじい様の暮らしてたころは、

それはそれは楽しく、華やかだったもんだよ」

誰彼となく、昔の高貴な暮らしを語っては、

「なんで今はこんな目に」と

今のわが身の不幸を呪って、さめざめと泣くのです。

 

カテリーナのように昔の贅沢な生活が忘れられずに苦しむ人に、

自己啓発やコーチングなんかでは

「過去をひきずるから不幸になるんだ、今を生きるのが大事だ」

とアドバイスするのでしょうが、

それも口で言うほど簡単ではなく、

本人も忘れようとしても、どうにも昔と比較してしまい、

今が惨めに感じられてしまうのでしょう。

相対の智恵しか持たない私たちに、

果たして純粋に「今」だけを見つめることができましょうか。

 

好きで好きで仕方なかった人、

その人が近くにいるだけで「ああ、幸せだな」と思えた人。

そんな人と死に別れすると、その後の人生がずっと辛くなります。

何をしていても、その人とのことを思い出し、

「あの人はもういないんだ」と胸が締め付けられる。

過去に心を置いてはいけない、今を歩こうと決意し、

新たな人と付き合ってみるのですが、

何かと「あの人とは違う」と比較してしまい、

寂しくなってしまうのです。

よく言われる「亡くなった人には勝てない」とは、

このことでしょう。

 

「不幸な境遇にあって、

かつての幸せをおもうほど悲惨なことはない」

ダンテの『神曲』地獄篇の言葉です。

あまりに貴重な過去は、現在の地獄を余計惨めにさせます。

 

では、人と比較したり、過去と比較しては、

幸福感が乱高下する、相対の幸福しか知らない私たちの人生に、

絶対の幸福、と言えるものはあるのでしょうか。

なれるのでしょうか。

仏教はそのことについて詳しく教えられています。

 

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