親鸞に学ぶ幸福論

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殺生に罪の意識を自覚できない現代の文明

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【殺生罪(3)】


殺生罪についてお話ししたところ、

「人や動物が他の動物を殺して食べるのは自然の摂理であり、

殺生がなければ成り立たないので、悪ではないのでは」

とのご意見がありましたので、それについてお話しいたします。

 

確かに仰るとおり、肉を食べるのは自然の摂理であり、

生きていくにはどうしようもないことですが、

【仕方ない】=【罪悪ではない】ということではありません。

 

動物も私たちと同じように、親子・夫婦が支え合って

一生懸命生きていますし、死にたくないのも人間と一緒です。

首を抑えつけられたニワトリがばたばたもがくのも、

撃たれたシカがよろめきながらもなおも必死に逃げようとするのも、

死にたくないからです。

猟の経験がある方で、最後、とどめを刺すときの獣の怯えた目、

断末魔の叫び声を聞き、罪悪感を感じたという話しをよく聞きます。

もし殺されていく動物たちが人間の言葉がしゃべれたら

「嫌だ、死にたくない、助けてくれ」と懇願するでしょう。

「なんで一方的にこんな目に遭わなければならないのか」

「なんて残酷なんだ」と理不尽さに悔しさをぶつけるでしょう。

今も人権が踏みにじられている国家では、

冤罪で強制労働、死刑になる人があるでしょうが、

動物たちの恨みは、冤罪で殺されていくその恨みと同じです。

 

直接的な殺生の行動を取った経験のある人が少ないので、

罪の意識が「希薄」あるいは「ない」ということでしょう。

私たちは肉といえば、スーパーで見かける、

パックに入った切りそろえた肉しかふだん目にしませんから、

自分が日々殺生罪を犯している自覚はありません。

しかしその一パックの肉片が私たちの手に渡る前に、

私たちの見えないところで目を覆いたくなるような動物への惨劇が

繰り広げられているのです。

その現場を見れば、人間の悪業の深さを感じられることと思います。

屠殺業者が動物たちをあくび半分で殺していくのを見て、

まるでサイコパスでも見るような、

怖い、嫌な気持ちになる人もあると思います。

 

しかしその食肉工場での動物への残酷な仕打ちは、

消費者である私たちがお金を出し、依頼して

なされていることですから、私たちも同罪です。

 

それを直接手にかけて殺す職業の人だけを残酷な悪人だと見下げて、

自分はそんなかわいそうなことはできないと

一段高いところに立っているのは、我が見知らずです。

 

微塵の欺瞞もごまかしも許さぬ仏の鏡に映れる私たちの姿は、

おびただしい殺生をせずしては生きられない、

どうにもならない恐ろしい、悲しい業を背負っている存在です。

そんなどうしようもない極重の悪人だからこそ、

阿弥陀仏の本願によるしか助かる道はないと

教えられたのが、親鸞聖人です。

 

 

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