親鸞に学ぶ幸福論

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さまざまな原因が重なって事件や事故は起きている

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【法鏡(1)】


私は20代の頃、追突事故に遭いました。

後ろから追突されたのですが、一般道で

相手の車がスピードを出ていなかったこともあり、

怪我も後遺症もなく済みました。

 

警察が立ち会い「追突した側の不注意」と判断したので、

賠償責任は10対0という結果でした。

相手の人も私と同じ歳くらいでしたが、

「ぼぉーっと運転してた」と、しきりに平身低頭、

謝ってこられました。

私も「気にしないで下さい」と返したのですが、

その時、実は私も自分に非があることを、少し感じていました。

 

というのは私の前の車が、通り沿いにある店に入る際、

右折するために突然ブレーキをかけたので、

後ろにいた自分もあわててブレーキをかけたからです。

ブレーキ音こそなかったものの、私自身、

ぶつからなくて良かったと焦るほどの急ブレーキでしたから、

すぐ「後ろの車は大丈夫かな」と心配になり、

バックミラーに目をやりました。

案の定、後ろの車は気付くのが遅く、身構えた瞬間、

ガチャンとぶつかってきたのです。

 

事の発端は、私の前の車の急なブレーキなので、

前の車は事故原因の大きな割合を占めていたと

今でも私は思っていますが、

もちろんその車は、警察の立ち会いもなく、

何のおとがめも、損害もなしです。

でもおそらくその運転手も、自分が事故の原因になった自覚は

あったと思います。

 

私も車間距離が近かったので、かなりの急ブレーキでした。

もっと私が車間距離をあけており、余裕を持ってブレーキをかけ、

後ろの車にブレーキランプで早めに知らせられれば、

事故が起きなかった可能性が大きかったので、

私にも原因があったと思っています。

 

しかしあくまでも警察の判断は「追突した人の前方不注意」です。

 

およそ何かの事故、事件、不祥事が起きるときというのは、

このときの追突事故のように、

いくつもの複数の要因が重なって起きるのだと思います。

わかりやすく、明らかに問題だった人が

原因とされ、責任をかぶることが多いですが、

背後には複雑な原因があるのだろうなと感じます。

 

会社で不祥事が起きて、責任取って辞職する社員がいます。

その社員のミスが原因で、会社に損害を出したからですが、

そもそもミスを防げるシステムがなかったとか、

その社員に仕事の負荷がかかり過ぎていたとか、

いろいろな要因が重なり、大きな不祥事を生んだといえます。

 

奥さんが浮気して離婚、多額の慰謝料を払い、

両方の親族からも罵倒され、という場面がありますが、

これも奥さんが原因ではありますが、

奥さんをそうさせてしまった原因まで遡れば、

夫や周りの環境にもあったかもしれません。

 

殺人を犯した人であっても、その人の家庭環境、生い立ち、

現在の境遇など調べると、その人を犯罪に走らせた要因は

多々見えてきます。

 

もちろんミスをした社員、浮気した妻、殺人を犯した人は

その報いを受け、深い反省をしなければなりませんが、

その人の人格だけを問題にして、周り中が責めて終わり、

というのはどうかと思います。

 

ある30代の男性から聞いた話です。

小学生の時、彼はあるウソをついたことで、

多くのクラスメイトに迷惑をかけ、

クラスの友人やその親、さらには自分の親からも

人格を否定されるようなことを言われたそうですが、

担当の先生だけは

「どうしようもない理由があったんではないか」

と全部話を聞いてくれたそうです。

「ちょっと前までは全然ウソつくつもりなかったのに、

うっかり言ってしまうことはあるんだ、わかるよ。

今お前の話聞いたら、そう言ってしまう気持ちも分かる。

でもたとえそんな時でも、ウソは言っちゃいけないんだよ」

と言ってくれたそうです。

 

その担当の先生の言葉に救われたと言っていました。

今でもその先生には、年賀状を送るそうです。

 

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