【生死の一大事(3)】
給料入った途端、全額パチンコに突っ込み、
全部遣ってしまったという人があります。
今月の家賃はどうするのか、も考えていない。
「つい熱くなってしまって・・」
っておい、それで済むかい。それでも大の大人か。
と言ってやりたくなるところです。
下町の工場の社長でも、今月、来月のやり繰りで精いっぱいで、
来年、再来年の展望まで考えられないという人もありましょう。
高校生ならばまずとにかく大学、と志望大学に入ることだけ考えて、
就職のことまで考えていないものです。
経営者やビジネスマンなら、どうしたら儲かるのか、は真剣に考えても
儲けた金をどうするか、の展望がない人が多いでしょう。
皆が「あれしなきゃ。これしなきゃ」と
目先のことに心を奪われています。
そんな中にあって一握りの先見性のある賢い人が
世界情勢の動きを予測して海外で資産管理したり、
マンションを子供名義にして税金対策したり、
10年先、20年先まで考えて行動しています。
しかしそんな先見性のある賢者も
見落としているものが「死ぬ」ということです。
「死ぬ時が来る」と聞くと、先過ぎる話とでも思っているのか
問題にもせず、したがって
「死ぬまでのやるべきことは何か」
という視点も持ちません。
シッダルタ太子(お釈迦様の仏になられる前のお名前)は
【死ぬ時がくる】と、真面目に己の人生の行く先を
見つめられた方です。
それは100%の将来であり、しかも遠い先の話ではない、
早ければ今晩にでもやってくる、と厳粛に受け止められました。
「世人薄俗にして共に不急の事を諍う」(釈迦)
「世の中の人は、目先のことばかりに心をうばわれて、
生死の一大事を知らない」
この一大事こそ仏教の出発点なのです。
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