親鸞に学ぶ幸福論

「そんなにしてまでなぜ生きねばならないのか」はっきり示した、メールdeで学ぶ仏教教室です。無料メール講座が好評です。受講者4000人。

教行信証の摩訶不思議な魅力の源泉はどこにあるか

f:id:kikuutan:20170820223050j:plain

 

 


教行信証(1)】


親鸞聖人には数多くの著作がありますが、

最も心血を注がれた聖人の主著は『教行信証』全六巻です。

親鸞聖人の信心と教義のすべてが記されているこの著作を

浄土真宗では「根本聖典」、略して「御本典」といわれます。

 


親鸞聖人の教えを知りたければ『歎異鈔』を読め、

と言う人が多くいます。

確かに『歎異鈔』は美しい文章で読んでいて心地よく、

仮名交じりで読みやすく、多くの人に愛読されますが、

親鸞聖人の教えを正確に知ろうとした時には、

教行信証』を拝読する以外にはありません。

 


成立時期は、聖人五十二歳、常陸茨城県)におられたころです。

しかし亡くなられるまで加筆修正を繰り返され、

何度も推敲を重ねられていますので、

まさに聖人畢生の大著といえましょう。

 


教行信証』をどのページでもいい、開いてまず目に引くのは、

膨大な経典や注釈書からの引用でしょう。  

親鸞聖人はご自身のなされた解釈の後に、

それを裏づける経典、またインド・中国・日本の高僧方の著作を

縦横無尽に引用され、根拠として示しておられます。

「さらに親鸞私なし」

親鸞が勝手に言っていることは一つもない。

釈迦の教えを明らかにする、その使命に生きるのみだ”

生涯貫かれた聖人の精神は、

この『教行信証』に、いかんなく打ち出されています。

そういった意味では、学究を極めた者同士が

真剣勝負で是非を論じ合う、あいまいさを排除した学術論文を

読むような感があります。

 


ところがその一方で、教行信証に書かれた聖人の一文一文は、

なんともいえない不思議な魅力にあふれているのです。

哲学者の三木清は『教行信証』を評して

「根底に深く抒情を湛えた芸術作品」と言っています。

私も親鸞聖人の教えを学び始めた18歳の時、

まだ仏教のイロハが何たるかも分かっていなかった時期でしたが、

教行信証』を初めてパラパラと読んだ時、ところどころの文章に、

言葉も文章の構造も、現代とまるで違うのに、

聖人の息遣いまで感じるような、何かすさまじい迫力と臨場感を

確かに感じました。

 


教行信証は不思議な書です。

厳めしい学者の論文のようのも見え、固い古典のようでもあり、

それでいて、情熱の丈を言葉に込めた詩を

読んでいるような感もあります。

そのことを前述の三木清

「『教行信証』は思索と体験とが渾然として、

一体をなした稀有の書である」

とも評しています。

 


では、多くの人を魅了して止まぬ『教行信証』の、

不思議な魅力、迫力の源泉は、いったいどこにあるのでしょうか。

 


それは親鸞聖人が体験された

「心も言葉も絶え果てた」絶対の幸福の境地にあることを

ハッキリと知ることができた人は、幸せな人です。

 

=========


仏教の教えをわかりやすく体系的にお話する

20回の無料メール講座好評配信中。