親鸞に学ぶ幸福論

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頼藤和寛氏は人生をどう例えているか

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【後生の一大事(3)】


精神科医であり、作家でもあった頼藤和寛氏は、52歳で

末期ガンの宣告を受けた時の心境を、著書にこうつづっています。

「これまで平気で歩いてきた道が実は地雷原だったと教えられ、

これから先はもっと危ないと注意されたようなものである。  

それでも時間の本性上、退くことはおろか、

立ち止まることもできない。無理矢理歩かされる。

次の一歩が命取りなのか、

あるいはずいぶん先のほうまで地雷に触れないまま進めるのか。

いずれにせよ、生きて地雷原から抜け出ることだけはできない」
 
(『わたし、ガンです ある精神科医の耐病記』)

 


頼藤氏は、この手記を書いて一年も経たずに亡くなりました。

次の一歩で爆発するかもしれない道を歩いているのは、

自分だけでない、誰もが歩いているのだとも、氏は書いています。

地雷原はガンだけではありません。

脳梗塞、心臓疾患、地震、火事、津波、ミサイル、核爆弾、

交通事故、飛行機事故、強盗殺人、通り魔・・・

世の中は地雷だらけです。

 


私は現在48歳ですが、よくぞ今まで数々の地雷を踏まずに

(無頓着なまま、かいくぐってきたのですが)

ここまで歩いてこれたものだと思います。

これからも思わぬところに地雷は埋まっており、

年齢を重ねるにつれ、より地雷密集の危険地帯に

足を踏み入れなければならないのです。

頼藤氏は53歳で地雷を踏んでしまったのですが、

私はその歳まで踏まずに歩けるかも分かりません。

 


そんな方向へは歩きたくありません、と言っても無理です。

「時間の本性上、退くことはおろか、

立ち止まることもできない。無理矢理歩かされる」

と頼藤氏が表現した通りです。

否応なしに死ななければならないことを

「無理矢理歩かされる」と書き遺してます。

 


「末期ガンだったが、奇跡的にガンが消えた」

「飛行機事故に遭ったが、九死に一生を得て救出された」

そんな時、私たちは「助かった、助かった」と喜びます。

しかし「死ななかった」ことを「助かった」というのなら、

頼藤氏が言うように

「いずれにせよ、生きて地雷原から抜け出ることだけはできない」

私たちは遅かれ早かれ必ず死にますから、

本当の意味で「助かった」ことがありません。

この一大事を、仏教では「後生の一大事」といい、

この解決一つを目的に親鸞聖人は出家されています。

 


そして親鸞聖人は、本当の意味で「助かった」歓喜と感謝を

「ああ、慶ばしきかな、親鸞」と、

その著作に書き記されているのです。

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