親鸞に学ぶ幸福論

「そんなにしてまでなぜ生きねばならないのか」はっきり示した、メールdeで学ぶ仏教教室です。無料メール講座が好評です。受講者4000人。

なぜ「生きることは耐えていくこと」になってしまうのか

f:id:kikuutan:20170922094821j:plain

 

 


【娑婆(2)】

 


『娑婆』とは仏教の言葉で、意味は「堪忍土」。

「堪忍していかねば生きていけない世界」ということです。

あっちぶつかり、こっちぶつかり、

思うままに生きている人は誰もいません。

それは一党支配の独裁者も、超大国の大統領も同じです。

 


夏目漱石は『草枕』の冒頭に、娑婆世界の実態を書きました。

「智に働けば角が立つ。

 情に棹させば流される。

 意地を通せば窮屈だ。

 とかくに人の世は住みにくい」

「智に働けば角が立つ」

あいつは冷たい。人情味が薄い。杓子定規だ、理屈っぽい。ドライだ。

「情に棹させば流される」

優柔不断だ、頼りない、日和見主義だ、一貫性がない、

「意地を通せば窮屈だ」

意固地だ、頑固だ、融通が利かない、偏屈だ、

「とかくに人の世は住みにくい」

どんな生き方をしても、堪え忍ぶ世界です。

 


ではなぜこの世は、そんな住みにくく、生き辛い世界(娑婆)に

なってしまうのでしょうか

それは娑婆に住まいしている私たちが、煩悩の塊だからです。

 


自分さえよければいいと欲に動かされ、

思い通りにならないと腹を立て、

しかも慢心一杯だから、もう自分が悪いとは思えない、

そんな煩悩の固まりの人間が住まいしているのが、

「穢土」(煩悩に穢れた世界)ですから、すぐぶつかってしまい、

おのずと堪え忍ばなければやっていけない世界となるのです。

 


夏目漱石は、草枕の上記の文のあと、こう続けています。

「住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。

どこへ越しても住みにくいと悟った時、

詩が生まれて、画ができる。

人の世をつくったものは神でもなければ鬼でもない。

やはり向こう三軒両隣りに、ちらちらするただの人である」

 


どの会社に勤めようが、どの人と結婚しようが、

どの国に住もうが、どの時代であっても、

そこにいるのは煩悩いっぱいの人間ですから、やはり「穢土」。

だから、常に堪え忍んでいかねばならない「娑婆」になるのです。

=========


仏教の教えをわかりやすく体系的にお話する

20回の無料メール講座好評配信中。