親鸞に学ぶ幸福論

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文章上達のポイント。子供っぽい文章を卒業するには

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【布施(3)】

 
仏教で教えられる善行の一つに「布施」があります。

今日の言葉でいうと「親切」のことです。

布施する時の大事な心得が「相手の立場に立つ」ことです。

 


「布施」をインドの言葉で「ダーナ」、

それが転じて「檀那(だんな)」となりました。

「うちのダンナときたら~」と奥さんにぼやかれる「ダンナさん」ですが、

元々の意味は「相手の立場に立って行動できる人」ですから、

世のお父さんは(何を言われようとも)ダンナの自覚を持って

妻子を守っていかねばなりません。

 


一方仏教で「餓鬼(がき)」とは、

「相手の立場に立てない人」のことです。

子供のことを「がき」と言われるのは、

子供はまだ相手の立場に立った言動ができないからです。

 


「あいつも大人になったよな」と言う時に使う「大人」とは、

18歳以上ということではなく、

相手の立場に立って言動を考えられるようになったことを

「大人になった」と、私たちは使います。

逆に、相手の立場に立つことができない人は、

年齢は重ねても「子供」「がき」だといえましょう。

 


今、私は専ら文章を書く仕事をしていますが、

「子供の文章」から「大人の文章」に脱皮しなければという

切実な思いがあり、今日はそのことについて書きます。

 


子供はよく

「さっきね、さっちゃんがね、おもちゃ持って行っちゃったの」

と大人に訴えます。

聞く方は「さっちゃん、って誰?」「さっき、っていつ?」と

わからないことだらけですが、

子供は聞く人がどう思うかまで考えての発言はできません。

「さっちゃんといえば、あの子に決まっているでしょ」

「さっき、というのは、2時間前に公園で遊んでいた時のこと」

と子供の中ではハッキリしていることなので、

相手も同じように分かってくれると思ってしゃべるのです。

 


文章を書いている時も、気をつけなければならないのは実にここで、

相手の立場に立っていないことが多いのです。

読み直してみると、自分しか分からないことを

書いてしまっていることに気付きます。

何度も推敲が必要なのは、

相手の立場に立って書き直さねばならないからです。

・スッと理解できるだろうか

・読みづらくないだろうか

・理由を提示せずに断言していないだろうか

・前の文との流れはスムーズだろうか

常に相手のことを考えながら、読み直します。

 


また様々な読者を想定して、自分の文章を読み返すのも

勉強になります。

ボーッと読み流す人になってみたり、

ケチをつけようと思って読んでみたり、

この人ならどう読むだろうと、想定して読んでみたりします。

こういうことを重ねて気付くのは、

いかに自分の文章が自己本位で子供っぽい文章か、ということです。

 


もう一つ、相手を配慮できない子供のエピソードを一つ。

夏休みにお祖母ちゃんの家に、孫の6歳の子供が

一週間遊びに来た時のこと。

その家には失業中の叔父さんも一緒に住んでいるのですが、

夕食の団欒時の

「ねえ、おじちゃんは何で昼間からいつも家にいるの」

という子供の一言が「その場を凍らせた」そうです。

こんな時、言ってはいけない言葉は何なのか、

相手の気持ちを考えて選別するということも、子供はできません。

 


文章執筆でもまた同じです。

こういうことを書けば、読む人はどんな気持ちになるか、

常に読者の心を意識して書かねばならないのですが、

なかなかこれもできていないことが知らされます。

 


文章に関する本を読むと、どの人も共通して強調しているのは、

「相手の立場に立つ」ことの重要性です。

文章技術の向上と聞くと、

「語彙を増やす」とか「流麗な文学表現」とかを学ぶのか

と思いきや、そんなことよりもずっと大事なのが、

「相手の立場に立つ」ことだと知らされます。

 

 

 

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