親鸞に学ぶ幸福論

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願いがかなったのに、なぜ心はこんなにも寂しいのか

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【仏願(2)】


「人間は自分の願いがかなっても、幸福になれない存在だ」

と、驚くべきことを釈迦が説き明かされていることを、

過去3回にわたって述べてきました。

「願い」とは「将来の夢」であり「目指す目標」です。

夢や目標を持つことが大事だとみな常識のようにいいますし、

それを実現した人のサクセスストーリーにみな憧れるのですから、

「たとえユメかなって成功できても、イコール幸福とはならない」

と説く釈迦の教えを非常識であり、

「厭世的だ」「暗い」「やる気を損なわせる思想だ」と

思われる方も多いでしょう。

しかし反面、うすうす感ずいていることを言葉にされたと

受け止める人もいるのではないでしょうか。

 


毒舌家で知られるバーナード・ショーは、

「人生には二つの悲劇がある。

一つは願いが達せられないこと。もう一つはそれが達せられること」

と言っています。

これも人生に対してネガティブな主張だと思う人もあるでしょうが、

彼の言うことが毒舌と評されるのは、

人はそこに一面の真理を感じ取るからでしょう。

 


では、なぜ願いをかなえても幸福になれないのでしょうか。

親鸞聖人にお訊きすると

「それは火宅無常の世界に私たちが住まいしているからだよ」

と教えられます。

「火宅無常の世界」とは、

いつ何が起きるか分からない不安な世の中ということです。

 


常に世の中は移ろい変わっています。

たとえ景気が良くなって商売繁盛しても、

いつまた景気が悪くなるか分かりませんし、

どんな事故や事件が起きるとも限りません。

縁談が進み、ステキな人と結婚できても、

その後、病や事故で死に別れもあれば、

どちらかの心が冷めて離婚、という憂き目にあうこともあります。

 


たとえ願いがかなっても、その満足は一時的で、

またいつどうなるか分からない不安が胸に迫ります。

なまじ苦労の末、大きな願いをかなえた人は、

失いたくないと思うあまり、

第三者には分からぬ不安に苛まされることもあります。

こんなに不安になるくらいなら、

手にしなければ良かったとさえ思うこともあるのです。

 


いつ何が起きるか分からぬ火宅無常の世界に住まいしているから、

願い通りに何を手に入れても、

いつまで続くだろうかとの不安に怯え、苦しみが絶えることはないと

親鸞聖人は喝破されました。

ではそんな私たちが幸せになるにはどうしたらいいのか。

仏の本願、仏の願いによるしかないと教えられています。

それが他力本願の教えです。

 

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