親鸞に学ぶ幸福論

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「青鬼」「青龍」とは、仏教では何を指しているのか、

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【仏願(3)】


『仏願(ぶつがん)』とは「仏の願い」です。

仏の願いは、私たち人間の願いとは違います。

どう違うのでしょうか。

 


人間の願いは

「カネがあれば、あの車買えるのに」

「かわいかったら、あの人も振り向いてくれるのに」(

「才能があったら、馬鹿にされないのに」

という願いで、仏教では『五欲 』といわれるものです。

『五欲』とは、欲の中でも特に大きいものの5つで

【食欲】とは、食べたい、飲みたい

【財欲】とは、カネが欲しい、

【色欲】とは、もてたい、

【名誉欲】とは、ほめられたい、

【睡眠欲】とは、寝たい、楽したい、という欲です。

これらやりたいことができないから不幸なんだ、

とみんな思っています。

「やりたいことがやりたいようにできれば幸せなんだ」

と信じて疑いません。

 


ところが仏教では、これら五欲は「一時の快」はもたらしても、

「本当の快」は得られないと教えられます。

その理由は欲の心は底なしに深く、どれだけ満たしてもキリがないからです。

仏教ではたびたび煩悩を「龍」や「鬼」に譬えられますが、

三大煩悩の一つである『欲』は「青龍」「青鬼」として登場します。

欲の心が青色に譬えられるのは、海の青さを表しています。

海の色は深さを増すほどに青みを増します。

浅瀬はまだ透明だったり、薄い水色ですが、

沖に行くにしたがい濃い青になります。

青は深さを表しており、欲が青に譬えられるのは、

欲の心がどこどこまでも深いからです。

 


無ければ無いで欲しい、欲しいと渇し、

手に入れればもっと欲しい、もっと欲しいと際限なく深いのが欲の実態です。

国会議員になりたい、なったら今度は大臣になりたい、

大臣になれば首相になりたい、

首相になれば、法を改定してでも任期をもっと伸ばしたい、

と欲は満足を知りません。

ゴールなき競争に安心も満足も訪れません。

 


では際限のない五欲 から、私たちは離れることはできるのでしょうか。

親鸞聖人は私たちの実態を「煩悩具足の凡夫」と喝破されています。

「煩悩の塊」「五欲を求める心しかないのが人間」と言われています。

五欲を満たすのを願う心しかない者に、

五欲を離れた悟りの境地を求めよというのは、

魚に水を離れて生きよ、と言うに等しいことになります。

 


果てしない欲に苦しまされ、悩まされ続け、

際限なく迷いを重ねる私たちだからこそ、

何とか助けてやりたいと願いと建てられたのが『仏願』なのです。

 

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