親鸞に学ぶ幸福論

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やりたいことが見つからないことに劣等感を持つ必要はない

 

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【出世本懐(1)】


「やりたいことが見つからない」という10代の若者の声をよく聞きます。

子供はあらゆる場面で、大人から

「将来の夢は?」「何になりたいの?」と定番で聞かれるので、

これまた定番の答えを用意しています。

小さいときは、それもたわいもない答えでいいのですが、

中学生くらいになると「将来の夢は?」だけで済まず、

「そのために今実行していることは?」まで観察されます。

 


将来の夢が明確にあり、そのために現在、努力を積み上げている若者は、

大人からは「しっかりしているね」と目を細められ、

異性からも「素敵だ」と思われ、友人からも一目置かれます。

そういう風潮にいまだ夢が見つからない人は、

焦る心もつのり、劣等感を覚えるようになります。

 


そんな「やりたいことが見つからない」若者の声はネット上にも飛び交い、

その声はあたかも、「やりたいことが見つからない」自分は

欠陥であるかのように思い悩んでいます。

 


その昔、お釈迦さまも

「本当に人生でやるべきこと、やりたいことは何か」

に悩まれた方でした。

王族の太子として生まれ、名をシッダルタといわれたお釈迦さまは、

幼少の頃から、卓越した才気を発揮し、

父母親族である王族や、家来たち、国民の期待を一身に集めましたが、

彼らの期待する「外交」「政治」「経済」「法律」など、

どれも打ち込む気にはなれず、

周りを失望させました。

 


シッダルタ太子には「これをオレは求めていたんだ」と

夢中になれるものは何もありませんでした。

それは、どの道に進んでも、どこまで進んでも

そこに心からの安心、満足がないのを、進む前から直感されたからです。

 


「これだ、ここしかない」と、すべてを捨てて単身一つの道を選ばれたのは、

29歳の御時でした。

それまではずっと悶々と進むべき道を迷われ続けたのです。

このお釈迦さまの出家までのエピソードを知ると、

人生かけて進むべき道は、そんな簡単に見つかるものではないことがわかります。

またそこに迷い悩むことは、決して劣等感を持つようなことではなく、

人生を真摯に受け止めようとする人にこそおきる疑問なのだと知らされます。

 

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