親鸞に学ぶ幸福論

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自分は精神的に大人になったか、まだガキのままか、わかる方法

 

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【布施(1)】

 


『布施』とは仏教の言葉で「親切」のことです。

昔のインドの言葉では「ダーナ」といい、

漢字を当てて「檀那(ダンナ)」と書くこともあります。

 


「うちのダンナ、休日はごろごろしてばかりで」

と妻から言われる夫ですが、

本来「ダンナ」とは「与える人」のことなのですから、

妻や子供に幸せを与える立場を担う夫に、尊重の意を表した言葉です。

 


それに対し、子供のことを「ガキ」と呼ぶのは、仏教の『餓鬼』からきます。

「ほしい」「ほしい」と目の色変える餓えた鬼のように、

自分のことしか考えていないのが『餓鬼』です。

子供は自分が泣きたい時は泣く、自分が笑いたい時は笑う、

周りがそれをどう思うか、までは考えられません。

自分のことしか考えていないので、子供のことを「ガキ」というのです。

 


「お前はいくつになってもガキだなぁ」とは、

年齢は重ねてはいても、人のことを考えられずに、

自分のことしか頭にない人に名付けられる言葉です。

 


年齢を重ねても「ガキ」な人はいますし、

年は若くても「ダンナ」の精神性を身につけている人もいます。

人を見る時、その人が、自分のことしか考えていない「ガキ」か、

それとも思いやりのある「ダンナ」か、

その人間性を見極めるのはなかなか難しいですが、

自分自身がどちらサイドの人間かを知りたければ、

わかる場面があります。

 


それは自分が失態をさらしてしまった時です。

長い人生には、失態をさらす時が、どんな人にでもあります。

ときにそれは信用を失い、立場を失い、

友人や家族からも背を向けられるほどの大きな事態もあるでしょう。

 


そのとき、自分の心に

「なんとかこの失態をなかったことにできないか」

「誰かのせいにできないか」

「情状酌量してもらえるような言い訳ができないか」

という心が山ほど出てきますが、

それは「自分のことしか考えていないガキ」の発想です。

 


自らの失態で迷惑をかけた人、傷つけてしまった人がいるのですから、

一番大事なのは、その人への心からの謝罪です。

これができるかどうか、です。

 


【責任転嫁、言い訳、ごまかし】か【心からの謝罪か】

葛藤なく判断できる人はなかなかないでしょうが、

それでも勇気をもって決断し、

自らの非を認め、心から謝罪する人は、

本当の「思いやりのある人」です。

 


これは中学生の子供でも、できる人はできます。

できない人は、大の大人でもできません。

できる人とできない人との違いは、

相手のことを考えることができる「ダンナ」か、

自分のことしか考えられない「ガキ」か、の違いです。

 


お金を手入れる方法、評価を受ける方法、異性に好かれる方法などは、

年を重ねれば経験を積んで上達していきますが、

それで「大人になった」とはいえません。

自分自身が精神的に子供のままか、大人になったか、は、

失態をさらした時の態度にあらわれるのです。

 

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