【一念(1)】
2017年12月31日午後11時頃。
テレビをつけると、除夜の鐘の響きとともに
「まもなく今年が終わろうとしています」
との落ち着いたキャスターの声。
それが午前12時を指すと、2018年1月1日に変わり、
弾んだ声のキャスターがゲストに
「今年はどんな年にしたいですか」と言っています。
2017年12月31日午後11時59分59秒が、
秒針が一つ進んで、
2018年1月1日午前12時00分00秒になった瞬間に
「今年」が終わり、「今年」が始まります。
「今日」が終われば、また「今日」です。
時計を見て「ああ、もうすぐ明日になるな」と思っていても、
秒針が12時を指せば「明日」が始まるのではない。
また「今日」の始まりです。
私たちは「昨日」に生きることもできなければ、
「明日」に生きることもできない存在なのです。
より厳密に言えば、時の流れは「今」の連続です。
何億年前といっても、何億年後といっても、
今、今、今・・・・・と「今」の連続です。
これを古来「永遠の今」といいます。
だから「いつかやろう」「今度しよう」という思考をする人は、
いつまでも行動できない人です。
「いつか」「今度」は永遠にやってこず、
あるのは「今」だけなのですから。
仏教が常に「今」を問題にするのも同じ理由です。