親鸞に学ぶ幸福論

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死んだら無になるだけなら、なぜ死が怖いのか

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【後生の一大事(1)】


現代の日本では、死後の世界を信じている人は多くはありません。

最近でもネット上で人気の僧侶がこう主張していました。

「生まれた物は皆、土へ還る。

痛みや苦しみから解放されて土に還っていく。

遅かれ早かれ皆同じだ。そうして命は巡っている」

こんな話しに多くの人が慰められ、癒やされ、共感し、

「感動した、よかった」と賛同している現状からも

「死んだら無だ」という見解が一般的なのは、よくわかります。

死後の世界をまじめに語っている人があれば、異端視されるか、

そうまではいかなくても、「マイノリティ」扱いは否めません。

 


ところがおかしなことに、その同じ現代日本の日常会話に

「今度生まれ変わるとしたら」と口にしたり、

「死んだ父が見守ってくれる」と言ったり、

「今頃あの世で再会して」と弔辞を述べるといった、

死後の世界を認めていなければいえない会話がここかしこでなされ、

それを耳にする人も、違和感なくそれらの言葉を受け入れています。

 


さらに行動を見ても、冥福を祈ったり、戦没者の慰霊祭をしたり、

墓に個人の好きなものを供えたり、仏壇の位牌に語りかけたり、

ふだん「死んだら無」と言ってはばからない人が、

それらの行動を冗談半分でなく、社交辞令でもなく、

結構まじめに行っています。

 


もし「死んだら無だ」とはっきりしているのなら、

それらの人間の言動がナンセンスなものとして、

現代社会から消滅しているはずですが、

何千年前から今も変わらない人間の行動です。

 


さらにいえば、「死ねばなくなる」と人が本当には思っていないことの何よりの証拠は、

圧倒的な「死」への恐怖があるという、まさにそのことです。

 


以下は癌にかかって亡くなったある30代の漫画家が、

生前つぶやいていたツイッターの文章です。

ーーーーーーーーー
何だか最近情緒不安定でよく泣くようになってしまった。
薬が効いてるのかもわからないしもうすぐ余命宣告された半年が経つ。
怖い。
ーーーーーーーーー
ああ、怖いな。最近本当に情緒不安定だ。
怖い。生きてくのが怖い。死ぬのも怖い。もう嫌だ。
ーーーーーーーーー
主治医との面談が終わった。また一つ薬が減った。
残念ながら終わりが見えてきてしまった
辛い……。一年持たないのかもしれない。嫌だ死にたくない。
怖い、辛い、誰か助けてくれ……
ーーーーーーーーー

 


死ねば無になるのなら、なぜ死ぬのが怖いのでしょう。

怖がるも何も「痛みや苦しみから解放されて土に還っていく」のなら、

怖いということもないはずです。

 


実は人間は「無になる」ことを恐れているのではなく、

「わからない」ことを恐れているのです。

死んだらどうなるかわからない、本当はこのことが怖いのです。

この「死んだらどうなるかわからない心」を仏教では

「無明の闇」といいます。

 

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