親鸞に学ぶ幸福論

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胸を打つ親鸞聖人の断言

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【教行信証(1)】

 


親鸞聖人の著作を読む人がまず心を打たれることは、

簡潔で、明快なその文体の迫力です。

単刀直入に言い切られる断言の数々に、

その一言一言にどれだけの熱い思いと深い学問が込められているのか、

素人目であってもひしひしと感じられるものがあり、

読む人を惹きつけてやみません。

 

私は仏教講座で親鸞聖人の書き遺されたお言葉を出して、

その意味を話をしますが、

以前来られた方が言われたことが心に残っています。

大学で教鞭を執り、論文を書き、

世間に発表する仕事をしている方でした。

「論文は通常、序文に他人の論説を引用しながら注意深く仮説を立て、

それを著者がどう実証したかを詳細に述べたあと、

最後に力を注いで結論を書きます。

ここで、自分の意見をどれほど力説できるかが、論文の質を決めます。

しかし、疑いなく言い切れることはなく、

総合的に考えて

“このような可能性が、極めて高い”

“こう言えるだろう”

といったトーンにするのが常識です。

100パーセントこうだと書くと、

学会内で角が立ち、

それを反証する者が現れた時、学者生命を絶たれかねません」

という内容でした。

 

学者の論文の厳しい世界を知らされますが、

鎌倉時代当時、仏教の書を著すことも、

今日の学者の論文に勝るとも劣らぬ、真剣勝負でした。

どちらが本当の釈迦の教えか、を論じる法論(宗派間での論争)も、

破れた者は宗旨替えを迫られていますし、

信長が設けたことで有名な「安土宗論」という法論では、

破れた日蓮宗の僧が斬首されています。

 

仏教の教えを絶対に曲げてはならない、

との強い責任を持って、仏教の本を著す時代であり、

今日のように著者の思いが自由奔放に語られる時代とは違います。

 

そんな時代にあって親鸞聖人は、

「釈迦の教えはこれ一つですよ」とスパッと断言されています。

その断言の数々は、一切経を全部読んで、

その内容をよくわかられた方でなければ、

とても言えることではありません。

もし誰かが

「おまえはこれ一つだ、と書いているが、この経のこの部分はどうなんだ」

と、反証となる経典の一部を示してきたら、

その質問にはっきりと答えなければ、

ウソを書いた、ことになってしまい、

前言撤回し、あの本の内容は誤りでした、と謝罪しなければならなくなります。

 

だからあの断言の数々は、

「文句があるなら親鸞に言え、ちゃんと答えるから」

との満々たる自信がなければ、

とても言えることではありません。

 

教行信証の、あの簡潔で明快な断言の数々は、

親鸞聖人のはっきりとした確信と、

それを裏付ける深遠な学問上の根拠があってのことなのです。

 

 

 

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