【慢(1)】
「~のために」と私たちはよく口にしますが、
そう言いながらも、決して自分のことを忘れてはいないものです。
必ずそれは自分の得にもなっています。
「大バーゲンセール!最大70%引き!
お客さまの日ごろのご愛顧に感謝して、出血大サービスです!」
と言いますが、ホンネは「売りたい」のです。
政治家なら街頭演説で大衆に向かって
「皆さんのために、不肖この○○、立ち上がりました。
日本の将来、こんなままでいいのか。
子供たちの未来がかかっているんです。
子供たちのために、私を国会で働かせてください」
とスピーチしていますが、
ホンネは「議員になって人の上に立ちたい」のです。
そのように私たちが「~のために」と主張する際、
自己の損得勘定と離れることはありません。
そこを反省する気持ちがあるならまだしも、
全く自己犠牲で、相手のためだけに、と思い込んでしまっているとしたら、
それはうぬぼれ、慢心であり、
きっとその「慢心」はきっと恐ろしい事態を招くでしょう。
仏教では「慢」が六大煩悩の一つに数えられます。
あなたも今まで怒りに任せて
つい言い過ぎてしまったことがありませんか。
「あれくらいのことでなぜ言ってしまったんだろう」
「あんなに問い詰めなくてもよかったのに・・」
と苦々しく思った時のことを思い返してください。
反省してみると、
「これだけ面倒みてやっているのに」
「これだけ心配してやっているのに」
「やっている」のうぬぼれ心に、
怒りの元があったことに気付かれるのではないでしょうか。
「あいつのためにしてやってる」
「みんなのことを思って立ち上がった」
「ひとのためにしてあげた」
これらみな、わが身知らずの慢心です。
そして怒りの元であり、己の心を悲しくさせる原因です。
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