親鸞に学ぶ幸福論

「そんなにしてまでなぜ生きねばならないのか」はっきり示した、メールdeで学ぶ仏教教室です。無料メール講座が好評です。受講者4000人。

「~してあげた」という慢心の引き起こす悲劇

f:id:kikuutan:20181127181402j:plain

 

【慢(1)】

 

「~のために」と私たちはよく口にしますが、

そう言いながらも、決して自分のことを忘れてはいないものです。

必ずそれは自分の得にもなっています。

 

「大バーゲンセール!最大70%引き!

お客さまの日ごろのご愛顧に感謝して、出血大サービスです!」

と言いますが、ホンネは「売りたい」のです。

 

政治家なら街頭演説で大衆に向かって

「皆さんのために、不肖この○○、立ち上がりました。

日本の将来、こんなままでいいのか。

子供たちの未来がかかっているんです。

子供たちのために、私を国会で働かせてください」

とスピーチしていますが、

ホンネは「議員になって人の上に立ちたい」のです。

 

そのように私たちが「~のために」と主張する際、

自己の損得勘定と離れることはありません。

 

そこを反省する気持ちがあるならまだしも、

全く自己犠牲で、相手のためだけに、と思い込んでしまっているとしたら、

それはうぬぼれ、慢心であり、

きっとその「慢心」はきっと恐ろしい事態を招くでしょう。

 

仏教では「慢」が六大煩悩の一つに数えられます。

あなたも今まで怒りに任せて

つい言い過ぎてしまったことがありませんか。

「あれくらいのことでなぜ言ってしまったんだろう」

「あんなに問い詰めなくてもよかったのに・・」

と苦々しく思った時のことを思い返してください。

 

反省してみると、

「これだけ面倒みてやっているのに」

「これだけ心配してやっているのに」

「やっている」のうぬぼれ心に、

怒りの元があったことに気付かれるのではないでしょうか。

 

「あいつのためにしてやってる」

「みんなのことを思って立ち上がった」

「ひとのためにしてあげた」

これらみな、わが身知らずの慢心です。

そして怒りの元であり、己の心を悲しくさせる原因です。

 

 

 

=========

 

仏教の教えをわかりやすく、
体系的にまとめた全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

 

「一から分かる仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:

=========


仏教の教えをわかりやすく体系的にお話する

20回の無料メール講座好評配信中。