【無常(2)】
「出息入息 不待命終」
(しゅっそくにゅうそく ふたいみょうじゅう)
「出る息は入る息を待たず、命終わる」
というお経の一節があります。
吸った息が吐き出せなければ、吐いた息が吸えなければ、
その時が、死ぬ時だという意味です。
「死」は「いずれ迎えること」と誰もが容認はしていますが、
「それはまだまだ先のこと」としか、思っていません。
そんな私たちの頑とした思い込みにブッダは
「吸う息吐く息と触れ合っているのが【死】ですよ」
と警告されています。
吐いたら吸う、吸ったら吐く、
そんな当たり前の、ふだん何の意識もせぬことが、
「もう吐けない」「もう吸えない」という現実に直面する時が、
私にも、あなたにも、必ずありますよ、と教えられているのです。
この「出息入息 不待命終」を以前メルマガに書いた際、
いただいた感想が心に残っており、紹介させていただきます。
感想を下された方は、おそらく医療関係の方ではないかなと思いますが、
そんな場面に触れる機会がある方だからこそ、
「死」を厳粛に受け止められているのかもしれません。
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いつも真剣に読ませて頂いております。
(この時期は忙しくて)まとめ読みの事もありますが
今回のお話は…
いろんな現実と思いがよぎりました。
昨日まで、さっきまで息をしていたのに…
もう二度と吸うことが出来なかった人
止まった呼吸を見つめて見つめて…見つめて見つめて…
グワッっと胸が膨らんだ瞬間。
筋ジスの方が最後に発するあの言葉
『苦しいよ~、息が出来ないよ~』
そして、ホントに吸えなくなる。
仏教とは冷酷なまでに真実を見つめてるんですね。
でもアタシはそれでいいと思います。
人間の命は甘くない。
真実を告げるのに、見つめるために必要な冷静さだと感じます。
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仏法は死を真面目に見つめる教えですが、
ここに話が及ぶと、
「今、死ぬこと考えても仕方ない」
「ピンと来ない。当たり前じゃん」
「生を充実させることが大事なので、死は関係ない」
という声も多く、聞かれる方の反応が分かれるところの一つです。
儲ける方法、健康の秘訣、円滑な人間関係、などを学ぶ時に
【死】はどっちでもいいと放置しておれますが、
「己とは何か」「なぜ生きる」「本当の幸福とは」
本質に迫れば、どうしても【死】と向き合わざるをえません。
フランスの哲学者、モンテーニュは、
仕事を辞めて、自分の城にとじこもり、
読書三昧の生活を送りました。38歳の時です。
書斎の天井にギリシア語やラテン語の格言をたくさん記し、
フランス語でただひとつ
「私は何を知っているか」
と書きつけたといいます。
そのモンテーニュは
「哲学とは【死】を学ぶことだ」
といっています。
20世紀ドイツの哲学者ハイデガーは
「人間とは死へ向かう存在だ」
と言い、ショーペンハウエルは
「死こそ、哲学にインスピレーションを吹き込む」
と言いました。
「無常(死)を観ずるは菩提心の一なり」
この人間存在をまじめに見つめることは、
真の幸せを獲得するのに大事なことだからこそ、
お釈迦さまはていねいに説き明かされたのです。
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